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もうひとつの「20歳のソウル」斗真の物語④


「とりあえず、付き合ってみませんか」

 授業が始まって一日目。昼休みにクラスの女子から中庭に呼び出された。まだろくに喋ったこともない子だ。中学も違うから全く情報がない。というか、名前すら分からない。鬱蒼と木々や花壇の草木が茂る中庭には、ちらほらと生徒が通るだけで他には誰もいなかった。

「えっと、とりあえずって、何」

「だから、お互い良く知らないと思うけど、付き合ってから知り合うってことで」

 この女子はクラスでもよく喋るほうだなと思っていた。同じ中学の女子がクラスに多いのか、いつも5~6人で固まって行動している気がする。

「なんで知らないのに付き合うの?」

 僕は素直な疑問をそのままに聞いた。女子は視線をせわしなく動かしながら笑顔で言う。

「だって、付き合っておかないと、佐伯くん、他に取られると思って」

 …ん?

 取られるってなんだ?

「どういうこと?」

 僕は真顔で聞いていた。本当に、意味が分からない。女子は、照れるでもなく、相変わらず快活に笑顔を向けながら非常に分かりやすい説明をしてくれた。

「だって彼氏作っておかないと、これからいろいろやりづらいんだよね。みんなと話合わなくなるの、やだし。だから、早いうちにとりあえず作っときたいなって。佐伯くんなら間違いないから」

 何が、“間違いない〟のだろうか。

 僕は中学の時から、恋愛には本当に興味がない。母親の姿を見ているせいか、人は恋愛に走るとくだらない行動しかしなくなる、とすら思っている。だから僕を好きでいてくれる女子がいてもあまり嬉しい気持ちにはなれない。どうせその子だって、母親のようになるんだって思ってしまうから。

「佐伯くんだって、彼女いたほうがいいでしょ?」

「別に」

 この女子は嫌いじゃない。少なくとも「好き」と言わないのが良い。言葉が全部正直で、こっちも素直に本音が言える。

「俺、女子が苦手なんだ」

「えー、そっち?」

「そっちって何」

「とりあえずでいいじゃん。ダメなら別れればいいんだし」

 ダメなら別れればいい、か。

 人間関係ってのは、そういうものなのだろうか。

 別れる時の痛みは、ないのだろうか。

 傷は、すぐに癒えるのだろうか。

 僕には分からない。

「とりあえずでも、無理」

 僕は少し強い口調で言った。女子の笑顔が少し曇った。

「じゃ、いいや」

 くるりと踵を返すと、女子は曖昧な会釈をして僕の前から離れた。肩にあたるくらいに綺麗に切りそろえられた髪が左右に揺れて昼の太陽の光を反射させていた。入学して数日で、よく告白なんかできるもんだな。彼女は僕を好きなんじゃない。「間違いない」んだ。けれど人間関係の間違いって、なんだろう。どんな関係なら「正解」なんだろう。テストの解答を埋めるように、正しさを求めて人を選ぶのだとしたら、その採点は誰がするのだ?

「カレンちゃんって、可愛いよね」

 空耳かと思った。

 隣を見ると、浅野が立っていた。ぎょっとした。

「何、お前?」

「いや、パン食おうかなって降りてきたら、いたから」

 浅野は、手にしたビニール袋からメロンパンを一つ取り出す。

「食べる?」

「いらない」

「うまいよ」

「いらない」

「そっか」

 浅野はヘラっと笑ってメロンパンを一口食べた。僕は、そのいきなり人の隣にやってきてパンを食える距離感のなさに少し呆れながらその横顔を見た。

「浅野…、さっき弁当食ってなかった?」

「うん。でも足りないから。これ、豪からパクった」

「豪?」

「C組の奴。中学の時から一緒で、すげえバカ食いだから毎日5食分くらい持ち歩いてるんだよね」

「そんな奴いないだろ」

「あいつは、そうなんだよ」

 浅野は美味そうに食っている。本当に美味そうだ。浅野は僕の顔を見て笑った。

「食べる?」

「いらない」

「だって、食べてないじゃん。昼」

 なんでバレたんだろう。僕は中学の時から学校での昼食はほとんど手をつけなかった。まったく食欲がないのだ。それは高校に入っても変わらずで、今日も朝から水ばかり飲んでいた。

「これ。やる」

 浅野はビニール袋からもう一つ、パンを取り出した。僕はなんとなく受け取ってしまった。腹は空いてない。けれど、浅野が美味そうに食べるのを見ていると、なんとなく食いたくなってくる。一口、食べてみた。カスタードクリームが口に広がった。

「甘い」

「美味いよね」

 浅野は、半笑いで僕を見ている。不思議とこの男の傍にいると、力が抜ける感じがする。僕はいつの間にかクリームパンを頬張っている自分に気づいた。

「カレンちゃん、実はけっこう本気だったかも」

 浅野は急に話を戻した。

「カレンって、今の子?」

「名前も知らなかったの?」

「興味ないから」

「うわ、モテる男ってこんな感じかあ」

 浅野は楽しそうに僕を見ている。

「とりあえず、彼氏いたほうがいろいろやりやすいから作りたい、らしい」

「とりあえず…かあ」

「そう言われて付き合う奴、いないだろ」

「…カレンちゃん。中学卒業の時、彼氏と別れちゃったんだよ」

「え?」

「凄く仲良かったんだけど、高校別々になって。だから今、ちょっと寂しいのかも」

 そんな風には、見えなかった。

「ダメなら別れればいいとか言ってたけど」

「女の子は、言ってる事と思ってる事、違うから」

 は?

 浅野は飄々とした表情のままで言う。

「一目惚れってやつだったかもね」

 え?

「惚れ?」

「うん」

「あの子が、俺に?」

「うん」

「ないよ」

「あるよ」

「ない」

「ある」

 全然、分からない。

「佐伯くん、自分のことあんまり分かってないんだなあ」

 なんだよ、それ。

「まあ、今度告られた時は、相談して」

 浅野は親指を立ててにやりと笑った。不思議な奴だ。どうもからかわれているとしか思えないのだが、悪い気がしない。

「そうする」

 口から勝手にそんな答えを返していた。

「あー、喉乾いた。コーラ買いに行こうぜ、コーラ」

 浅野は自販機に向かってさっさと歩き出した。コーラは余計に喉が渇くだろ?と切り返してやりたい気持ちにもなったが、炭酸の刺激が欲しくなって僕は浅野の背中を追いかけた。なぜだろう、こいつの言うことにはいつも同調してしまう。歌うように、楽しそうに歩く白シャツの背中を、不思議な気持ちで眺めた。

(つづく)


※現在公開中の映画『20歳のソウル』第一稿をもとにした佐伯斗真のスピンオフ。映画用に作った斗真の裏設定を元に描いたストーリーですので、こちらの小説に登場する人物・エピソードは、中井由梨子が創作した架空の人物・物語であり、実在の人物、市船とは全く関係のないフィクションです。

 

 

 

 

 

 

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