大好きが大嫌いに
今までは大好きでいた事が大嫌いになってしまう事は誰にでもあると思う。今までnoteに綴ってきた様に家庭の複雑さがキッカケで自己の存在を否定しまくってきた。家庭だけに留まらず他の場所でも生きる事を諦めていた。
近年やっと誕生日におめでとうと言われて素直に受け取れる様になった。ここ数年の事だと思う。それまでは幼少期の一大イベントとして家族が揃う豪華な誕生日は誰にも負けない位大好きだった。帰宅が深夜で殆ど会えず出張ばかりの義父が確実に早く帰ってくるのだ。こんな特別な日は無い。別々で暮らしている姉もこの日は来てくれる。そんな誕生日やXmas、お正月やイベントの各種がどれも夢の様に好きだった。
しかし事情が一変してしまい自分のせいでと思い詰めた自分は事実を知って義父を裏切って(と思い込んで)から誕生日を呪った。父の日も母の日もイベント日なんてやってこなければいいと心底思った。特に父の日は露骨に態度に心に響いた。街中がイベントムードで見渡す限り全てにファーザーズデイ!!とある。居なくなったし、本当の父など知りやしないと解って私の中から父の日が抜け落ちて塗り潰された。
誕生日は祝う事自体を拒否する体制に入っていた時期もあった。出生を本当に祝福されていたのか甚だ疑問だったし実父の話を聞いて妙に納得をしたのも不思議な感覚だからだ。拗れたり事実を吐露される前から高校生の私は家族への疑心暗鬼が募っていて、それは思春期特有の反抗期だと思っていた。でもずっと心の何処かに妙だと違和感を抱えていたのだと思う。それをうまく言語化出来ずどんな感情なのかも解らず持て余した。中学の時家出をして友達の家に逃げ込んだ時には自分は本当の家族じゃない兄と血が繋がっていないと思い至っていて、高校生の頃は夜な夜なたまり場へ出かけてはそこに居る連れ周りに安息を求めた。何をするでも無くただ煙草を吸って他愛もない話や馬鹿話をする。
話が逸れてしまうのでこの内容はまた別のnoteで記したい。
よそよそしい放置的な仮面家族にうんざりしていて、それが何でなのか解らず常に苛ついていた。何故なのか。その答えが欲しかった。結果的に事実を述べられて愕然としたのと同時に心の中で『やっぱりそうか』と思った。全ての辻褄がパズルをする様に憎たらしい程綺麗に揃いはまるのだ。
自暴自棄の海の中に飛び込んだ私は、誕生日なんてクソ食らえだ。祝われてもいないのなら祝うな。茶番はもう見たくも聞きたくもない。だから祝わないで欲しい。何も無い日として扱ってくれ。
そう切に願った。私の心がまだ整理が追いついてないと叫ぶ。こんなに訳の解らない状態で何を祝われているの?時間が必要なのだと心の中の自分が暴れ倒していた。だから距離を起きたかった。何でも無い日、そう扱って貰う事で精一杯自分と周りに見せない事を守ろうとしたのだと思う。
そしてやっと
近年。祝って貰える事に素直に心の底から有難うを言える様になった。母親や兄等からおめでとうと言われても温度差はあるし形式上で有難うと返信している。今までTwitterやLINE等SNSで誕生日を記載してこなかったのはこれが実際の理由だ。
誕生日を祝われる事が苦手だったし建前で「有難う」と言いたくなかった。単純なエゴだとも思うけれど自分も喜べる気持ちでちゃんと返事が出来るまで待ちたかった。分厚い氷が溶ける様に何年も何年もかかってやっと。親や家族は別として、誕生日という日を赦せる様になった。素直に喜べるのだ。
8年以上掛かってやっと。やっと見つけた花みたいな気持ちで、これからも育んでいきたい。心の声にちゃんと耳を傾け、私の心に素直でいたいと心から思える様になれたから取り零した事も遠回りだからこそ掌に掴めた事もどちらも大切な事だと思う。終わりは無いけれど少しずつ自分と今の状態で向き合って行きたい。