見出し画像

人格障害が出そうな気配

※本記事には自殺未遂、リストカット、OD等の表現や自死願望について触れています。詳細に表現している箇所もあります。

また境界性人格障害だった頃の話を書いておりトラウマを刺激する可能性がある為それらに敏感な方、感情を引っ張られる方、現在治療中の方、PTSDのある方は読むのを控えて下さい。

本記事は自殺未遂、リストカット、OD等の行為を推奨する訳ではありません。そういった症状で辛く苦しい場合には精神科、心療内科の専門機関を速やかに受診しプログラムを組むか心理療法を受けて下さい。私の通っている主治医の先生の方針は全ての方に合う訳ではありません。
全ての専門医がこういう先生ではなく、またこういったやり方が合ったのはたまたま私の性格上ですので主治医については各々自分の合う先生をお探し下さい。
正解不正解で括れる事だけじゃないのでそういった事を言われても反応しません。

また境界性人格障害についても私のケースであり私のやり方と個人の感じ方捉え方です。この方法が正しいとかでは無くたまたまこの方法でなんとか出来たというだけでどうやったのかは私にも解りかねます。記憶が飛んでおり健忘で抜けてる為前後しています。全ての人の境界性人格障害がこういった症状や感じ方ではない事を前提として本記事を読む様に気をつけて下さい。そして身近な境界性人格障害の方にこのやり方や考え方、感情の捉え方を促す等はやめて下さいます様にお願いします※


正確に言えば人格障害で形成される人格というのは殆どが感情を切り離したもの、またはイマジナリー自分です。独りきりでは到底無理な精神的苦痛が強く長くあると回避する為守る為に人格は生まれます。しかしそれはゲームで主人公を作るのとは訳が違うもので人格が交代している間は記憶が無い。
主人格となる自分+形成された人格なのだが、人格Aが出現している間主人格は眠っているというか意識が無いというか切り離された所で勝手が解らない。
人格Aがメインで動いてる間は全ての感覚が人格Aに委ねられる為スライドする様に主人格は追い出されるのがオーソドックス。
オーソドックスと言う言い方もなんだか変な感じだがそうなんだから仕方ない。そうじゃない人も居ます。意識があり遠くから見てる様な感じのケースもあるので。

人格障害はでっちあげ?

多少はそりゃ自分に耐えられなくなった、自分の身に起こる事に耐えられなくなったから出現しているので作られたという意味では主人格の願望や理想像や真逆等ある程度主人格の望むへき姿であるのは確かだ。それを演じていると批判する人もいるがしたければしていればいい。主人格と人格が交代している感覚等解りはしないのだから。好きに言いがかりをつけ好きに想像するがいいだろう。そんなに都合よく楽しい人格障害ライフを送ってる訳ではこちとらないのだ。

その人が限界に達した時、人格というものは無意識に作られている。そう“作られている”のだ。
それに自分が気付く事も、人前で交代した時に
「口調が違った」
「普段飲まないものを飲んだ」
「普段なら嫌う食べれないものを食べた」
「雰囲気(目つき)が違った」

等の証言を経て後から知るのだ。
形跡、痕跡が残っている時にはそれにより知る事があり「あえて痕跡を残さない者」の存在に気付くには気がついたら手首が真っ赤だとか気付いたらゴミ箱半分に血がためてあるだとか、気がついたら知りもしない血液の満タンに入った異臭を放つペットボトルが置いてあるだとか。
そういった事があって初めて

あ、コイツ私に気付かれない様にやってるってなるもんです。

事後の手遅れ状態で血液の後始末をしながら
「認識してない誰かが居る」
と主人格は気付くのだ。こいつ私より頭がキレるぞと思いながらどうしたものかと頭をひねる。
攻撃的、破滅型、他害型の場合には迅速にその人格を対処しないと過去の人格障害時には

母親の脅迫
主治医への脅迫及び薬の指定と要求

こういう事を平然とやってのけかつ大胆にクリニックの待合でリストカットしだすのだ。
主人格では絶対にやらないだろう行動に出る。
それが恐ろしくて堪らない。あの頃は家族を壊し己を壊し主治医は人格の脅迫に屈せず薬も出さなかった。
有る意味強気でのらくらな先生のお陰で攻撃的な人格の凶行は食い止められ苛立ちを募らせた攻撃型の人格は先述の通りゴミ箱いっぱいに失血させた後ODをし救急搬送の後にICU、そして肺炎を起こし入院というお土産付きの結果を残していった。
これもその攻撃型人格のせいにしときたい責任転嫁なのかもしれない。
自分がやったのかそいつがやったのか私にはどちらがやったと答えられない。

話が飛躍してしまったけれど、この状況では人格がいつの間にかまた出来てますなんて事は簡単に起きるだろう。それが今まで封印出来て来た?のは何故かと言えば単純に感情として片付けたからだ。
感情で済まないのは体験した自分が1番解っているのだけどそれでも「願望」「理想像」そういった面が強く耳と目を塞ぎ自分がした事にしたくないと逃げ出す場面で人格というのが大きく影響するから。
そうだと個人的には分析している。体験したからこそそう分析していて自分がした事にしたくなかった事を彼ら彼女らに押し付け自分は見聞きせず蹲り事が終わるのを只待っていたのだ。私のせいじゃないとのたまいながら。

彼らを「感情」の1言で片付けるには抵抗もある。
確実に存在したから。それを感情という信号の様なもので済ませてしまっていいのか?彼らだけが傍に居てくれたのに?とも感じる。
特に支えてくれたり元気づけてくれたり、周りに落ち込んでる事を悟られない様に明るく振る舞ったり、状態が安定してる様にみせてくれたりしていたのは紛れもなく人格だった。私1人では無理な事だった。それを感情の一部だと押し込むのは中々に苦しく辛く大変だった。
否定するようで、彼ら彼女らを無かった事にしてしまう様な気がしてとてつもなく寂しかった。
今でも彼らの性格別に書いたイメージイラストは大切に残してある。
なりたかった自分、いて欲しかった自分、様々なタイプがいて性格も性別も年齢もバラバラ。
そんな共に過ごす仲間でもある(友好的な人格については)人達を失う事はとてつもない怖さだった。
また独りきりの暗闇に突き落とされる様な気がしてそれでも彼らに1歩自分でも歩けると示したくてそれぞれの人格を感情として受け入れ手放し統合する事に長く時間を掛けて成功したのだ。
その後は人格が出る事は無く完全に統合に成功し自分の足と心で歩いている。
見ているだろうか?何処かで。彼らはまだ私を。
そして褒めてくれるだろうか?こんなに出来るよと言ったら「あの頃の自分と比べて」お前はよくやってると言ってくれるだろうか。

私を支えてくれた人格達には顔を上げて前を向いている私を見てそう思ってくれたら嬉しいと思いながら日々過ごしてきた。

残念ながら友好的ではない攻撃破滅型の人格についてはかなり長い間時間を掛けてたたかった。
そいつに負ければ身体と思考は乗っ取られたままで私が死ぬまで或いは誰かを殺すまで止まらないだろう。だからこそ攻撃型の人格の統合から始める事を決意したのだ。病院のベッドで。40度の熱と咳に魘されながら点滴に繋がれ肺炎を何日も続け移動は全て車椅子に乗せられ押され介護されながら。

このままでは自分か、家族を殺してしまうと思い
友好的な人格にも協力を仰ぎながら主治医とも相談しながら“勘の良い小賢しい彼女にバレずに制圧するにはどうしたら良いか”考え抜いて友好的な人格に手伝って貰って薬にも頼りながら根比べだった。
自分が勝てば友好的な人格も統合し独りに戻り
彼女が勝てば私か家族が死体になるまで切りまくるだろう。
バレずになんてのは無理で最初からバレていて向こうも解って一手先をくる。
私に出来る事は主人格であり続ける事、意識を取られない事だった。ひたすらに自分の意識をハッキリと意識して舵を他の誰にも許さない事を24時間365日続けた。
そしてやっと打ち勝って嘲笑う彼女を自分の一部であると認める事が出来た。

「“今”は譲ってやる。お前が次に気付いた時“お前”だといいな。お前が生きてる限りあたしはお前を支配する。“いつか”どうせまた会うだろう。お前が手放せる筈等無いのだから。愚かで浅ましく卑怯なお前はまた私のせいにするよ」

彼女はそんな様なセリフを最後に残していった。
私自身が彼女に求めたのは代わりに滅茶苦茶に破壊する事だった。それを望んだが故に彼女は破壊を躊躇しない人であった。彼女だけは交代すると家族でも解った様で危険意識はあった様だった。
そりゃそうだ。家族を狙っていたのだから。

私はきっと何処かで望んでるだろう。
私の責任でしたくはないものだから当然だろう。
あいつのせいだ、そんな風に言える存在が居たら誰だって自分じゃない、自分はこんな事しないと言うだろう。彼女に全ての良くない選択肢の責任を背負わせて自分だけは綺麗でいたいなんて白々しいったら無い。

今は私は殺意を覚えたら私自身が殺意湧いてると言える。責任の所在を押し付ける存在に彼女を求める事は多分、今はしない。そしてこのまましたくないのだ。戻ってきて欲しくないから。

そんな攻撃破滅型の人格を統合し感情として受け入れた日から境界性人格障害は急激に変化を起こしていった。城が陥落したら旅してきた仲間がそれぞれの道を違える様にいとも簡単に、あいつが居なければ大丈夫だと1人また1人と感情として消えていった。
黙っていつの間にか居なくなっていた友好でも攻撃でも無く傍観タイプの人格も知らぬ間に居なくなっていた。何処で判断するかってそれは痕跡があるかどうかと呼びかけに反応するかどうかだ。

皆のイメージしている人格障害は漫画とかアニメみたいなのを想像してると思うけど。
実際には違って、似てる部分もあるけどやはり何かが違う。うまく言葉で表すのは難しい。
ただとにかく友好的で守ってきてくれた人格の統合には涙が止まらなかったしすんなりとはい、出来ましたみたいに簡単にはいかなかった。

私が孤独が怖くて耐えきれず自分で自分を励ましていた時、いつの間にか別人格として連れみたいに傍にいた奴も感情として処理してしまえばもう会えなくなるのだ。彼の痕跡も無くなり話す事も出来ない。書き置きが置いてあったり苦しくなった時に交代して明るく振る舞ってくれる事も無くなる。

絶望でしか無かった。

そんな日々に耐えられるはずが無いと解りきっていた。また独りに戻るのかと思うとよからぬ事がよぎってしまう。
しかしうだうだやってるとせっかくなんとかした攻撃タイプがいつまたポッと戻ってくるか解らない。
その為友好的な人格達は予め話し合って攻撃タイプを抑える事に成功したら早めに統合しようと決めていたらしい(その時になって聞かされたから嫌だー寂しいーって駄々こねて泣いてしまい大変だった)

それでも自分はそれを受け入れるしか無かった。
彼らの協力あってこそなのに水の泡にする訳にはいかないし次は本当に自分と他人の命の保証が無いから。
あの頃は本当に死のうとしていたのであの後自殺未遂を続けていたらそのうち死んでたと思います。
発見が遅くなれば嫌でも吐瀉物で窒息して死ぬと学習していたから多分自室でじゃなくどっか外へいって発見の遅れる場所でやったろうと思います。あのまま人格も居てだったらばね。
そうは言っても人体ってタフだからちょっとやそっとのODじゃ今の薬は死ねない様になってます。
当時の自分も薬で死ぬ訳ではなく吐瀉物の誤嚥で窒息して死ねたらラッキー的な感覚だったと思います(自傷行為、OD、自殺を推奨する訳ではありません。今日日病院で処方される向精神薬程度では死なない様に改良されています。)

そんな訳で肺炎で自業自得とはいえエライ目にあった(エライ目にあったのは家族と病院の人達ですが)ので駄々をこねて友好的な人格の統合をいつまでも渋ってる訳にもいきませんでした。
いまいち切迫感とか緊迫感が伝わらないかもしれませんが、割と攻撃タイプが復活するが先か人格自体を統合し1人の人間として認めるが先かという状況でした。
どんなに泣いてもどんなに駄々をこねても仕方ないもんは仕方ないし受け入れる他ないんです。
自分は自分で他は感情で舵を切るのは自分なのだと。それ以外の存在は本来は人格障害として出るべきものでは無く自分の選んだ事は自分の責任なのだと。辛い日々も自分で耐えるしか無いのだと。
普通の人には当たり前の事なのでそんな事?と思うかと思いますが。

そうして完全に7人(それ以外にも居ましたが同時で最大の人数は7人でした)全ての人格を統合する事に成功し主治医からもそれなりにまぁぼちぼちで良かったやんと言葉を貰い、独りに戻ちゃったと呟けば

「いいか(本名の名前)、お前は頑張ってるし独りじゃない。俺はそれを信じてたから治療を続けてきた。ええか?それだけは忘れるなよ」

普段のらりくらりと良い意味で気の抜ける様なへらっとした先生が真剣になったから私も真剣に返事をした。あの真剣に言われる奴は自殺の為に薬を出してない!と怒られた時以来だった。

そして既出で書いたかもしれないが、私の悪い癖で「先生の成功例になる」と言えば即答で「やめとけいらん」というのだ。それが病気の悪化の原因だから良い子になるなと言う。
TVにもで出た事があるから批判も多いけどばかくそ真面目な私には適当さが気楽だったし、それに他の精神科よりも患者の事は見てると思う。
プロだから当たり前と言われたらそれまでだけど見抜く所は見抜いているしその上で泳がす所は泳がしている。そして本当に駄目な時には死ぬ為に飲むなら薬は出さんと怖くなる位には迫力出してくる。
そんな事する医者は希だと思う。
もっと適当でおざなりなところばかりだし。
主治医の先生も全ての患者にやってる訳でもないと思うけど。
自殺未遂を繰り返すあまり、デカイ病院で精神科への入院を強く勧められたけれど先生だけは入院させたら悪化するぞと入院に反対した人だった。
あくまで母親に私の介護をさせ続けた。滅茶苦茶に親不孝ものなんですが原因が親だからしゃーない。
それが良かったのか解らないが、あのタイミングで入院になっていたらそれこそ
「親は私を本当に見捨てた」
と拗ねて自暴自棄が加速して廃人になっていったろうと想像はつく。
結局、入院しようがしまいが私の受け止め方一つなのだ。家族には向き合う気もなければ愛も無く全て偽り。そして毒親でネグレクト。本当の父親でもなければ実の父親も知らない。ごっこを続け馬鹿みたいにそれを信じ間抜けなピエロをしてきた自分は一体どうしたらいいのだろう?その矛先を探し求めていた。

結論は「矛先は無い」だ。
自分がどうなろうと興味が無いそれが家族なのだからその事実を受け入れ毒親である事を認めネグレクトを受け入れるしか無いのだ。
愛される事は無いのだから自分が愛す対象を探すしかない。
そしてそれを受け入れ二人三脚で絶望の中一緒に戦い続けたのが愛犬だったがその愛犬も亡くなってしまった。私の生きる理由はそこで終わったのだけど当然生活は残酷ながら続いていく。
なんとか支え合って励ましあって愛を注ぐ戦友だった愛犬を失って本当にもう人生に未練も無く生きる事に執着も無くこの世での役割は終わったと思って再び死を決意していた。
突発性難聴になったり歯制上顎洞炎になって膿が溜まり自前の歯を抜いたり色々あって本当に大変だった。ワンオペ介護も通院、入退院も自分は愛犬の為に出来る事は全て自主的にやろうとそれこそ命をかけた。だから愛犬の居ない世界は本当に灰色で暫く色が解らなかった。食べるもの全てが砂の様で味がなく噛んでも砂を食ってる様だった。
「漫画みたいに本当に灰色になんだな」そう思った。

そして今も生きている。
生きてしまっているし生活は続いていく。
出来る事なら早く脱落したい。死ねるなら死にたい。早く安楽死させて欲しい。
だけど生きるしかない。
海外のインディーゲームに救われ、それを紹介してくれるはかせに救われ失った愛犬との時間を埋めている。

はい!人格居なくなりました!終わり!
ってな訳にはいかないんですね。
四六時中戻らない様に闘ってる状態なんですよ。
なので常に臨戦態勢。休まらないったらない。
あの頃に戻ったら色々な事が水の泡になっちゃうじゃないですか。だから今も私はしがみついて「ちゃんとした自分」に集中してるんです。
あの頃に戻ってしまわないように。
感情として自分の考えてる事やってる事を受け入れれる様に。

でもね。あんまりにもお腹痛くて下痢が辛いとまた出てきちゃうのよ。望んじゃうのよ。人格を。
イマジナリーフレンドって言いますけど少し似たような所はあって、自分が認識しているもう1人の想像人物に自我があるのが人格障害です。
話しかけたら話が返ってくる。受け答えが出来る。初めて人格が出来たのも腹痛等でトイレに篭っている時が始まりでした。自分で自分を励ますしか無いからもう1人の自分を作った。
そしたらそれが1人歩きを始めた。
友達みたいだなって都合よく使おうとしていたら後戻り出来ない所にいた。
そして主治医を通して密着取材を受けた事もあった。身バレしたくないので詳細は書きませんが。

だから今は踏ん張らなくては。
人格=感情と認識出来てる今は大丈夫。
躁鬱が始まったらもう判らん。
そしてリストカットが常習化したらまた判らん。
現在は自分の責任で耐えきれない時だけ少しだけリストカットを許してます。
勿論傷の手当をきちんとやる事、自分がやった事をちゃんと受け入れる事。主治医にちゃんと言う事。そういうルールは守っています。
出来れば切らんに越したことはないんだけど無理なもんは無理だからしゃーない。
他人に切りかかるよりマジだろ。と思っています。

随分乱暴で散文ですが何も考えずに綴るとこういう事になります。元の私はこういうふうなので。
だけどここまでなんとか良くなった。少なくても知らん間に血だらけは無くなった。
だから今をキープし続けなくては。
鬱病に寛解は無いですよ。自傷行為も自殺願望も全て日々なんとか踏んばって食い止めてるんです。残りの余生全部毎日四六時中ですよ。
それをシラフでテメエの顔と顔つき合わせてやるんですよ。ハッキリ言って躁鬱繰り返して薬でラリってリスカして自殺未遂してた時の方が楽でしたよ。
だって薬で記憶飛んでますから。ハイになって都合の悪い事は忘れて辛い辛いと切っては泣いて大量の薬で倒れて。

そりゃ自分の事だけ考えて自分の苦しみを如何に外に知って貰うか吐き出すかだけで動いてましたからね。

でもそれがある程度治って普通に見える様になってご覧よ。

想像力のある人なら解るよね。


くそったれきっっっっっついよ。


でも踏ん張るしかねえのよ。今はね。
出来るとこまでやってみましょ。
酒も煙草もやらん、腹がこんなだから食うものも精進料理か?みたいなもんばっか。食べるのに楽しみ?なんか殆ど無いけど。
それでも生きるしかねーのよ。
吐き出したし、寝ようね。また明日から仕切り直そう。適当に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?