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写真論とマナー講座は同類である理由

現代社会において、写真は私たちの日常生活の一部となっています。旅行先での風景、日々の何気ない瞬間、特別なイベントなど、あらゆる場面で写真を撮る機会があります。しかし、写真を撮る際に「正しい」方法や「良い」写真の定義について考えたことがあるでしょうか?写真論とマナー講座は一見すると異なる領域のように見えますが、実は自己満足に基づいた行動である点で同類です。この記事では、その理由を探りながら、最終的に自分自身が好きなように写真を撮ることが最も重要であるという結論を導き出します。

この記事を書くに至った経緯

最近多くのインスタグラム、スレッズなどで写真論という名目の下で自慢や他者を蹴落とす趣旨の投稿をよく目にして、自分も軸を持ちつつそういった方々と同類にならないようにしたいといった思いが強くなったからです。大半が写真論というより、(自分は良くて他の人は)◎◎だ、こういう人は避けたほうがいい(俺を除く)が横行しているので考え直す機会を欲しいと感じました。

写真論:理論と技術の追求

写真論とは、写真の美学や技術、歴史についての理論を指します。これは写真家やアート愛好家にとって、写真を深く理解し、より良い作品を生み出すための基盤となります。光の使い方、構図のバランス、被写体の選び方など、写真論には多くの要素が含まれます。これらの知識を身につけることで、確かに技術的に優れた写真を撮ることができるかもしれません。しかし、その追求は結局のところ自己満足に過ぎません。なぜなら、写真の価値は最終的に見る人の主観に委ねられるからです。

マナー講座:社会的ルールの遵守

一方、マナー講座は社会的なルールやエチケットを学ぶ場です。食事のマナー、ビジネスの礼儀作法、公共の場での振る舞いなど、マナー講座では様々なシチュエーションでの適切な行動を学びます。これらのマナーを守ることで、社会的な調和を保つことができますが、これもまた自己満足の一環と言えます。なぜなら、マナーを守ることで自分自身が安心し、他人に対して好印象を与えることができるという自己利益が含まれているからです。

自己満足と写真の自由

写真論もマナー講座も、結局のところ自己満足を追求する行為です。写真を撮る際に重要なのは、自分自身がその瞬間を楽しみ、満足することです。誰かが決めた「正しい」方法や理論に縛られる必要はありません。写真は個人の表現手段であり、撮り方に正解も不正解もありません。自分が感じたまま、見たままを自由に撮影することが最も大切です。

結論:好きなように撮るのが正解だし、それこそが一番のマナー。

最終的に、写真を撮る際に最も重要なのは自分自身の満足感です。写真論やマナー講座の知識は参考にはなりますが、それに囚われすぎると写真の楽しさを失ってしまう可能性があります。
常識を守るって大原則はあれど色んなものに
囚われてつまらなさそうに撮ってる写真
思いっきり楽しく撮ってる写真
どっちに心惹かれるかって話ですよ。
自分が好きなように写真を撮り、楽しむことこそが、最も「正しい」写真の撮り方なのです。

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