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1-1-3 スターとニュースにまみれるメディアの呪縛

メディアはスターが好きだ。ニュースとスキャンダルが好きと言ってもいい。50年間1つの仕事をコツコツやり続けた人をメディアは取り上げない。「メディアに扱ってもらうには1番になれ」という鉄則がある。1つのことを50年続けることはメディアにとっては価値ではない。やっていることが誰もやっていないことだったり、50年続けた人が誰もいないことだったりすることがメディアの求めることだ。世界2位のことを誰も覚えていないし関心もない。耳目を弾かないことをメディアは対象にしない。
これを知っているので親も学校も1番になることをあおる。目立ち、稼げるからだ。
メディアという職業の人たちは大変だ。ニュースとスキャンダルを追い求めて、日々疲弊していく。輝く人の暗部を探り当て、頂上から奈落に貶める技術が多用される。それによってニュースをさらに輝く。
メディアは、テレビや新聞、ネットだけにあるものではない。幼稚園にも小学校にも、職場にもメディアはある。メディアの多くはボランティアだ。ボランティアの行動は必ずしも社会を心地よくしない。ボランティアを止める方法もない。報酬ではなく自発で行動するのがボランティアだからだ。
メディアは中に立つだけであって、信念はない。賛成にも反対にもどちらにも回ることができる。人は社会性という美しい言葉によって、身近なメディアが反対に回らない行動様式を学ぶ。学んだことを使って、自分も悪徳なメディアに成り下がる。
メディアは、人の心の奥深いところを突く。妬みだ。人は妬む。妬みがメディアを生み、メディアを肥やす。太った醜いメディアに社会はひれ伏す。妬みはあまりにも強力で、妬みを扱う学問や知識を成立させない。誰の心にもある妬みがメディアを暴走させる。
チャンピオンが殺人を犯し、性的不合理にさいなみ、組織ぐるみの不正を行っていることほど耳目を惹くことはない。メディアを通して真実に触れることはできない。メディアという解釈を通して、我々は世界を見る。
一人の金メダリストがいたとしよう。彼あるいは彼女を支える何人の人がいたのだろう。何人いようがメディアは関心がない。金メダリストのための靴職人がいて、ユニフォームの職人がいて、用具の職人がいて、栄養士がいて、筋トレのコーチがいて、メンタルアドバイザーがいて、ほかにもあまり重要でないかもしれないが、競技団体の関係者がいて、所管の官庁があり、補助金の支給者がいる。所属企業もいる。すべての人が金メダルを実現している。金メダルを成し遂げた一人一人をメディアは取り上げない。メディアはスターを好む。そしてスターを貶める。
スターを誕生させ、スターを凋落させるとき、我々一人一人もメディアになっている。ボランティアのメディアだ。世界を美しいものにするには、我々自身がメディアに抵抗し、打ち破らなくてはならない。
メディアは煽る。若者をけしかける。成り上がりを目指す新興国の若者に同調し、静かに生きる先進国の若者を揶揄する。メディアは、創業者に投資利潤が集中する仕組みに異を唱えてこそ存在意義がある。
確かにメディアの影響力は大きい。メディアの仕事がニュースとスキャンダルであることは現在の話であって、未来永劫そうとは限らない。
社会が目指すのは、誰もがスターとなるにぎやかな日常ではないだろうか。社会の構成員は一人一人誰もがスターとなり、光り輝くことができる。人類が、いや、生命の誕生のその時から目指されたが、創成以来、反対方向に進んできた。「選」を超える「凡」という世界観だ。すべのこと、すべの人、すべてのものが光り輝く。生命現象の根源であり、本来メディアが力を注ぐべきことだ。

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