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自然とともに生きる考え方を解説。2019年3月にはテキサス州オースチンSXSWにて発表予定。 『0次産業革命/懐かしい未来』について検討を深める。音楽活動も行う。

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自然とともに生きる考え方を解説。2019年3月にはテキサス州オースチンSXSWにて発表予定。 『0次産業革命/懐かしい未来』について検討を深める。音楽活動も行う。

最近の記事

1-1-2 収入の手段に傾く教育の呪縛

教育が知識偏重なことは明らかだ。そうなってしまい、何千年も世界中で変わらない。知識を持つ者が権力や財力を手にすることに強い相関性があったからだ。社会や人生の目的が権力や財力の獲得でなくなったら、教育も変わるだろう。逆に言えば、どれだけ教育改革を求めても、社会の体制が権力と財力を求めているもとでは教育は変わらない。 モーツツアルほどの天才でも宮廷に媚を売らなくては生きていけなかった。モーツアルトの生涯を知らなくても、音楽で生きていくことの難しさは想像に難くない。ゴヤ、マネ、モネ

    • 2-10-3 アルベルゴ・ディフューゾ

      アルベルゴはイタリア語でホテル、デイフューゾは分散。分散したホテルという意味になる。1980年代にイタリアで始まったとされる過疎になった街の空き家を改装してホテルにする活動のことを指す。一軒だけではない。フロントと宿舎、ロビー、レストラン、喫茶、画廊などが複数に分散していることが多い。町案内や美術の案内をしてくる人がいることも多い。 今では認定委員会があり、イタリア中に広がっている。ローマに近いラツィオ州のソット・ステッレでは、村の中心広場からは、美しい渓谷をのぞめガイド付き

      • 1-2-1-2 笑えガイア、げらげら笑え(2)

        目指す未来の1つは空間の再設計だ。未来は都市ではない何かの場所を作ることではないか。未来は自動車でない何かの移動手段を作ることではないか。未来は家ではない何かの場所をつくることではないか。空間自体は我々とともに生きる生命体なのだ。 すでに在宅勤務やリモートオフィスは実現している。仕事のために都市に住まなくてはならない制約はなくなっている。親が気に掛ける教育についても都市にいなくてはならないという制約はなくなりつつある。子供の教育には集団生活も必要なので森の中で子育てとはいかな

        • 1-2-2-1 笑えガイア、ゲラゲラ笑え(1)

          ダンサーが首に巻くニシキヘビはロボット。 「本物のヘビなんて高くて買えない」 ダンサーも人間ではない。皮膚はもちろん、骨格や内臓も備えた限りなく人間に近いロボットだ。生殖もできる。 核戦争後のどんよりとした雲に覆われ、雨が降り続く世界。日光はなく、昆虫を養殖してタンパク源を確保する。 移動体は、自家用車も装甲車も空中を浮遊して走行する。人々が恋焦がれた技術だ。 ~ブレード・ランナー2049より~ 西洋的ディストピア(暗黒郷)が我々の未来でよいのだろうか。 30年前に公開され、

          1-1-4 富める者を肥やし、貧しきものから巻き上げる利子の呪縛

          ミハエル・エンデ作『モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語』は、広く世界で愛読されてきた。時間に振り回され、時間を貯めれば幸せになれると考える現代人の偏執(へんしゅう:とりつかれた妄想)を題材にして、人間の生き方、価値観を説く児童文学だ。エンデはこの話の着想を、経済学者シルビオ・ゲゼルの「老化する貨幣」から得た。エンデは、貨幣を時間にたとえて、経済瓢(ひょう)を幻想劇に仕立てたのだ。 「老化する貨幣」とは、貯めておくと減ってしまう貨幣のこ

          1-1-4 富める者を肥やし、貧しきものから巻き上げる利子の呪縛

          1-1-3 スターとニュースにまみれるメディアの呪縛

          メディアはスターが好きだ。ニュースとスキャンダルが好きと言ってもいい。50年間1つの仕事をコツコツやり続けた人をメディアは取り上げない。「メディアに扱ってもらうには1番になれ」という鉄則がある。1つのことを50年続けることはメディアにとっては価値ではない。やっていることが誰もやっていないことだったり、50年続けた人が誰もいないことだったりすることがメディアの求めることだ。世界2位のことを誰も覚えていないし関心もない。耳目を弾かないことをメディアは対象にしない。 これを知ってい

          1-1-3 スターとニュースにまみれるメディアの呪縛

          1-1-2 収入の手段に傾く教育の呪縛

          教育が知識偏重なことは明らかだ。そうなってしまい、何千年も世界中で変わらない。知識を持つ者が権力や財力を手にすることに強い相関性があったからだ。社会や人生の目的が権力や財力の獲得でなくなったら、教育も変わるだろう。逆に言えば、どれだけ教育改革を求めても、社会の体制が権力と財力を求めているもとでは教育は変わらない。 モーツツアルほどの天才でも宮廷に媚を売らなくては生きていけなかった。モーツアルトの生涯を知らなくても、音楽で生きていくことの難しさは想像に難くない。ゴヤ、マネ、モネ

          1-1-2 収入の手段に傾く教育の呪縛