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変わらないもの変わらないこと、変えたいこと変わってしまった人。映画「花束みたいな恋をした」感想(ネタバレあり)


きのこ帝国のクロノスタシスで一番好きな歌詞は、「今夜だけ忘れてよ家まで帰る道」です。
この曲は好き過ぎて、きのこ帝国は好き過ぎて、中々聞く気になることのできない今日この頃。
そんなきのこ帝国を愛してやまない私が映画
「花束みたいな恋をした」を見ることは、とても勇気がいることでした。こんな好きなバンドを起用する映画とはどんなもんじゃ!と思っていたのです。

映画館は高校生の女の子3人組、カップル、おひとり様の中年女性、高校生の男の子2人、などなど。私は、大学の同じ軽音サークルに所属する女友達と2人で観に行きました。

さて映画が始まります。
その直前隣の女友達から一言。「これ、サブカル殺しの映画らしいよ。」

大学で軽音サークルに入る私たちにとってサブカルとは、つまり自分らのことでした。

緊張と共に幕開け。

終電を逃すことから始まる出会い、麦くんと絹ちゃん。2人はそう「サブカル」好きな2人だったのです。本、音楽、絵、ラーメン、猫、映画、舞台、展覧会などなど。
2人は付き合い、大学卒業と共に同棲を始めるのですが、絹は資格を取ってから医療事務の仕事を。麦はイラストでお金を貰って生活していました。しかし好きなことをして生きていける世の中ではないという事を、麦と絹含め、これを読んでいるあなたも存じているはずです。
麦も就職を果たすことがきっかけとなり、2人の歩幅は大きなズレを産みます。

男として、彼氏として、2人のこの生活を支える覚悟と決意を仕事に一新に注ぎ込み過ぎた麦くん。
一方で麦くんを支えながらも楽しく、大学生の頃と変わらない無邪気な心を忘れず、好きなことと麦くんと、拾った猫バロンと、この生活を平凡に続けていくことを望んだ絹ちゃん。

2人の抱えるものの重さは、いつしか大きな違いを持ち始めました。

それに気づきながらも、現状維持するために仕事を一番に考える麦くんとそんな麦くんを感じながらも支え続ける絹ちゃんの姿を観るのはとても心が痛みました。しかし、お互い長い年月一緒に居たため、この現状に甘えていたのでしょう。ぬるま湯のような、居心地のいいようなわるいような。

付き合って5年が経ち、社会人として生きる中で、知人達は結婚していきます。ある結婚式の日、2人は付き合い始めたころ、いやむしろその前から通っていた、告白までした思い出のファミレスで、2人はお互いに別れを告げたのです。
しかしここで麦くんは別れたくないと言います。このままじゃ何も変わらない、何も成長しない、何も変化のない、平坦な生活だとお互い理解しているのでしょう。それに終止符を打ちたい絹ちゃんと、平凡な生活の退屈さを理解しながらも、別れを実感して寂しさが込み上げ引き止める麦くん。男って本当に、甘えて生きていきたい生き物なのだなと思いました。寂しくてみっともないなと。ただ、男女関係なく、その寂しさに勝てる人って、なかなかいませんよね。

そんな話をしていると、近くの席に座った男女が、こんな話をしています。
(席に案内されすぐ)
「あ、ドリンクバー2つで。」

「あ、○○さん、どっちに座りたいですか?」
「じゃあ、こっちで。」
「はい、○○さんはそっちで。」
「はい、じゃあ○○さんはそこで。」
「はい」
あれ、これって、何だか。
私たち、俺たちを見ている見たいじゃないか。
そう麦くんと絹ちゃんは感じたのでしょう。
その後も席の男女の会話は続き、好きな音楽の話になりました。その時にでてきた出てきたワードにやはり私は、「サブカル殺し」を感じました。羊文学、崎山蒼志、長谷川白紙。ずるい。

この男女を出会ったばかりの自分らに重ねながら絹ちゃんと麦くんは、泣くことしかできませんでした。もちろんわたしも大号泣。泣かない理由はありません。
こんな状況になってまで、しっかりと別れという決断を下した麦くんと絹ちゃんはすごいと思いました。ある種の強さだと思います。

彼らの姿に当の私は今気になっている男性と、前付き合っていた彼を交互に重ねていました。罪深い。


総評
きっと高校生の頃にこの映画を見ても響かなかっただろうと思います。きっとこの映画は二十歳を過ぎ、音楽を本気でやり、本が好きで、好きな人と本気で向き合ったことのある人なら誰でも、麦くんと絹ちゃんの「5年間」の重さと密度に心が切なく鳴くでしょう。そしてきっとこの映画を見ている時に思い出した人と話したくなるでしょう。電話をかけてしまうでしょう。それでいいと思わせてくれる恋愛映画でした。いや、ただの恋愛映画ではありませんでした。あっぱれ!

是非あなたも。

良い夜を。

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