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迷ったら頭よりこころに従ってみる(のが良いかもしれない理由)

悩ましい選択肢があったときに、どう選択するのがよいのか。

こういった内容のご質問はよく頂きます。

この問いへの答えは、過去の偉人達やから現代にいたるまで様々な「手法」がすでに紹介されてます。

結局は万人にとって「これだ」なんて普遍的なものはなく、その人それぞれの状況やタイミングによって「それぞれ」でしかないのでしょう。

下記の自分の答えも、それらたくさんある中の一つですが、自分の場合

頭が指す道ではなく、心が指す道を選ぶ。

ようにしています。

もう少し丁寧にお伝えすると
頭で損得のソロバン弾いて論理的に導かれた「こっち」と"考えて得た"選択ではなく
心全体というか、直観というか、腹の奥底というかで"感じた"選択を取る。
といった感じです。

言葉を恐れずにいうと、あえて考える時間を持たず、「全身全霊」で「そっち」と"感じさせる"方を選ぶ。

あくまで個人の体験でしかありませんが、頭で選んだ選択は、経済的や名声的には「よい」と(世間的に)言われる結果にたどり着けたとしても、どこか心や身体が「喜びを感じ"続け"ない」道となった。
刹那には"快"は生まれるけれど、心おだやかな心地よさは続かない分、苦しみももたらす道となった。

一方で、心で選んだ選択は、必ずしも簡単ではなく、苦労も多かったとしても、なんとも言えぬ「こころの満たされ」をもたらす体験に繋がった。

人は、とかく頭で考えて「確からしさ」を欲しがる生き物ですが、頭(脳)だけで生きているわけではないですよね。
息を吸って、メシを喰って、糞尿して、はじめて脳も動かせられる。

頭だけで得た答えは、必ずしも「腹落ちする」ものとはならない。
心の状態は身体の状態と密接に繋がっているものですが、心も身体も「喜ばしい」状態を手にしたいなら、頭だけの判断に頼っては、かえって危ういのでは。

ならば、心というか全身全霊で「喜ばしい」と感じる方を選んでは。
「感じる」ものなので、しっかりと言語化はできなかったり、理屈では説明しにくかったりするかもしれないけれど。
そちらの選択の方が、心も身体も喜ばしいものになるだろうから。
文字通り「腹(の底まで全身とおしてストンと)落ち」るような、全身でここちよさを感じやすいものが期待できるだろうから。

そう考えております。

さて、以上で終わっても良いのですが、下記はおまけとして…。

前世(得度前)から、頭より心に従う判断基準を大事にしていました。
ですが、とかく、頭は「大丈夫か?」「でもなぁ…」と、心を止めがちに働く。

それを打ち壊すために「ノータムポチリ」と名付けた行動様式までとっておりました。
「こころの羅針盤の針が動いたら、アレコレ考える時間を待たず(ノータイム)に、まずは"そっち"への動きを、(Amazonでポチっとするカジュアルさで)まずはカジュアルな範囲で実践してみる」

この「ノータイムポチリ」は、僕自身もですが、周囲でも、人生を大いに拓いてくれるものとなりました。

なぜ、頭で考えるより心で選ぶほうがいいのだろうか?

最近、脳科学やユングの心理学の学びをもとに、この行動様式のもたらす意義を、もう少し言語化できるように感じております。

蛇足ながら、下記そのことについて。

自分の意識には、自分で自覚できている「じぶん(自我)」のこころのあり方だけではない、意識の奥底(潜在意識)に眠る自身では自覚できてない、こころのあり方がある。

その潜在意識から囁かれる(ときに叫ばれているかもしれない)声は、「本当はこうありたい自分の姿とのギャップ」とか「見つめたくないけど向き合うべき老いや死への恐怖」など、自身にとっては、簡単に受け入れ難いものであることが多い。
だけれど、それの「声」にフタをしたままで過ごすと、後に心理的な不調につながる可能性がある。潜在的なこころの声が、フタをされたままだったことに我慢ができなくなり、自覚できるこころのあり方として意識に浮かび上がって、時に、うつの症状や、過剰な不安や焦り、重たいときには統合失調と呼ばれる症状になるなど。

自分が「頭で考えること」は、潜在意識からの影響は受けているものの、自覚はできてない。なので、「自分が考える」ことは、心の奥底でフタをされた「こころの声」を避けるような判断を「合理的で納得感を感じさせる理由とともに」起こしてくる。

でも、それは、本当に心が奥底から喜ばしいものではないかもしれない。
それより、なにか少し違和感や恐怖感を感じさせても、腹の底からなんとなくムズムズと「そっちでは」と囁くような、全身がなんとなく「こっち」というような方向こそが、頭では自覚しきれていない「奥底のこころの声」を反映したものかもしれない。

その方向に向かうのは、フタをして眠らせていた、潜在的なこころの声を呼び起こすことになるかもしれず、途中には苦しいプロセスも多々あるかもしれない。
でも、それを乗り越えた先には、こころ(の奥底)から、満たされを感じるような道につながるかもしれない。

頭ではなく、心で選択をすることは、我々が自覚できてない脳(潜在意識)や、全身にとって「よき」道を反映するものとなるのでは。

そう、勝手ながら考えております。

頭より心で選んだ方がいい「理由」をアタマで考えたものなので、文字通り頭でっかちな内容です😅。

今日もお付き合い頂き、有難うございました。

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龍光ブログ
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