友達ん家の犬へ
友達の家の犬が身体を抜け出して長い長い旅に出掛けた。ありとあらゆる和犬と洋犬を少し混ぜたような、大型犬と中型犬の狭間のようなサイズ感のナイスドッグだった。
犬を失った日から悲しみに暮れ、寂しさに打ちのめされて生きる私の友達は先日誕生日を迎えた。何か欲しいものはないか、それか私に出来ることはないかと聞いたところ、犬への弔辞がほしいとのことだったので、今こうしてキーボードを叩いている。
正直人間相手の弔辞さえ書いたことがないのに、犬相手となると余計にマナーが分からなくなる案件ではあるけれど、試しに弔辞をGoogleで検索したところ「お別れの手紙」とのことだったのでそういう感じで書いてみようと思う。
友達ん家の犬へ
あなたがこの世をチャカチャカと立ち去ってから、早いものでもう1ヶ月程が経過しました。その後いかがお過ごしでしょうか。そちらはいつもほかほかとしていて暖かいのでしょうか。毛で覆われている割には寒さに弱く世話の焼ける犬だとよく聞かされておりましたので、任意の毛布やタオルケットなどを駆使して日の差し込む窓辺などでのんびり昼寝でもしていてほしいものです。
正直、友達本人ならまだしも私が書くとなると我々の間にはあまり思い出というものがありません。強いて言うなら、友達が酷い男に酷い目に遭わされた時に君と私で大泣きする友達を挟んで一緒にドクタードリトルを観たことくらいでしょうか。あんな気まずいドクタードリトルもなかったと、あなたはあなたなりに思う犬心だったのでしょうか。劇中の動物のようにあなたが何か喋れたら、きっと私の何倍も深く染み入るような言葉を掛けていたのかもしれません。あなたはそう感じさせる何かを持っていました。まんまるで穏やかで、静かな波の海のように静かで落ち着いた眼差しをしたナイスドッグでした。
私が行くとチャッチャカと軽快にフローリングを鳴らして玄関まで迎えに来てくださって、大好きな宅配のおじさんではないと分かると「違った」と言わんばかりにため息混じりに引き返していく潔さも好印象でした。君って奴はそういうところがあったぞ。それもずっと一貫していたぞ。どうせクロネコヤマトのおじさんじゃあありませんよ、悪うございましたね。
あなたもきっと、こんなに早く行くことになるとは思っていなかったことでしょう。友達曰く私はよく亡くなった人や動物に夢で会って話をするので、あなたにも会えたら話してほしいことがあるそうです。だけどそれはお断りしました。犬一匹、人間一人でこそこそと話したいこともあるでしょう。
私は天国という場所を信じています。そこでは人も動物も、任意の姿になれる。痛かった場所や苦しかった症状は全部綺麗に治って元気いっぱいに暮らしているのだと。雨が好きな場合は雨の降るエリアで、お天気の日が好きな場合は日の差す大きな公園や海辺やお家の中で、雪が好きな場合は何処までもまっさらな雪の降り積もる静かな雪原の中で。
だから、あなたもそこに居る前提で手紙を書きます。
もう何処も痛くなくて、苦しくなくて、何処までも何処までも駆けていけるなら。いつまでもいつまでも遊んでも疲れない体力でボール遊びや川遊び、海での全力疾走を楽しんだなら。寒がりのくせに散歩に行くったら行くと駄々を捏ねたあの日のように雪の中を嫌々歩いてあたたかな家に帰って眠り飽きたなら。
どうか一度友達の家に、暮らした家に、帰ってくれませんか。
その家では今、私の大切な友達が毎日泣いて暮らしています。仕事をたくさん詰め込むことで頭と身体をいっぱいいっぱいにして、あなたのことを思う隙間を無理矢理埋めようとしています。それでも一息つく度に襲い来る寂しさや喪失感に泣いてばかりいます。
これはあなたのせいでもないし、友達のせいでもありません。仕方のないことです、乗り越えていくしかないものです。だけど人間は脆いです。私は友達が心配です。どうか、私の大切な友達を守ってください。
帰り方は賢いあなたのことなので覚えていると思いますが、軽くおさらいをしましょう。田んぼのあるあの道をまっすぐにまっすぐに駆け抜けると、暫くすると民家があります。まだ若かったあなたが散歩で留守してる間にバックの勢い余って犬小屋を破壊したじじぃの軽トラが見えるでしょう。
「外で飼ってたらじいちゃんに命を奪われる」と一家が団結し、結果あなたが家の中で生きる理由となったあの出来事です。苦々しい思い出かもしれないけれど、よく思い出して。家が見えましたか?
辿り着いたら、裏玄関から入ってください。あなたがこれなら食べてくれると買ったシニア犬のフードの袋がそのまま詰んであるから、食べてもいいです。お皿も、お水のボウルも、まだそこにあります。喉が渇いていたらお水もどうぞ。今日もきっとそこには新しいフードと水があります。
さぁ、居間に向かいましょう。居間ではあなたのお父さんがいつも通りの毎日を過ごしているけれど、あなたが丸まって眠っていた横を時折見ては寂しそうにしています。そこに丸まってみてくれませんか。ほんのりあたたかい手触りをもう一度お父さんにあげてくれませんか。
繋がっている隣の部屋では、お母さんが家事をしながら偶に立ち止まって泣いています。どうしたどうしたと、ふくらはぎの辺りにまた濡れた鼻をくっつけてあげてくれませんか。
あなたのライバルであり良き仲間であったおじいちゃんは施設に行きましたが、施設の部屋にはあなたの写真が幾つも飾ってあって職員さんにあなたの話をよくするそうです。名前はゴンだと話してるようです。偶に施設の方にも顔を出して、「メスだっつってんだろじじぃ」と教えにいってあげてください。相変わらず優しくて、面白くて、穏やかな目をしたおじいさんです。あなたに似ています。
みんなに会ったら二階にあがってください。あなたはもう足が痛くないし、苦しくないから大丈夫。階段を上がって奥の部屋に行きましょう。そこではあなたの飼い主が、私の友達が泣いています。誰に何を言われても、言われなくても泣き続け、しきりにあなたの元に行きたいと言います。前足で叩いてください、それも何度も叩いてください。それでも駄目だったら髪を掘ってください。この野郎おめえ、この野郎がという勢いで掘ってください。時折齧ってもよいものとします。
そして無事に友達があなたに気付いたら、そうして暮らしたように友達とベッドに寝そべって、取り留めのない話に付き合ってください。眠くなったら寄り添って、抱きしめ合って眠ってください。それだけでいいんです。それだけでいいから、そっちの生活や暮らしが落ち着いてからで構わないから。お願いね。
人は、大抵はあなた達犬という生き物より少し長く生きます。人にしてみれば少し短く感じるくらいだけど、人間もまたいつまでもいつまでも元気でいられないから。友達も「見送ることが出来て良かった」と言っていました。ただ、そう言いながらも同時にもっともっと一緒に居たかったと思ったりもする。だけど病気や怪我をしているまま長生きするのは苦しみが長く続くことなんじゃないかと葛藤もする。
その沢山の悩み事や、葛藤や、愛のど真ん中を陣取って、常にみんなの一等席で暮らした犬があなたでした。
最後に、ひとつだけ。友達に話してもいいと言われているので、これだけを伝えます。
あなたの名前の由来は、無責任な人間に無責任に傷つけられ、保健所で泣いていたちいさなあなたを迎えると決めた日にはもう決まっていたそうです。この子の今まではそうでなかったかもしれないけれど、この先は穏やかにのんびりと家族の中で生きて欲しいと。あなたの人間よりもずっと短い寿命の中で溢れてほしいものの中から一文字選んで授けたのだと。
この話を聞いた時、私はあなたをあなたの動画や写真や聞いた話や失意と絶望のドクタードリトル上映の数時間でしか存じ上げないけれど、名前の通りに生きた子なんじゃなかろうかと思いました。あなたにしか分からないことなんだけどね。しかしあなたはナイスドッグなので、そこら辺は心配ないでしょう。
友達ん家の犬改め、幸(さち)ちゃんへ
どうか穏やかに。
柔らか仕上げのフクダウニーより