今すぐ助かりたかった一ヶ月間
四季の匂いを嗅ぎながら散歩する犬のように気侭に転職活動を続けていた私であったが、ある日「こ、これは…!」と思わず声に出してしまうような求人を見つけた。それは地元で介護業界に入る際、待遇の面で一番優れているのがここだと噂されている施設であった。実際、休日や賃金、更にボーナスの額も合わせて考えればここまで好待遇のところはそう簡単には見つからないだろう。
紹介状を貰うべく、私は弾丸のような速さと勢いでハローワークへ向かった。速さと勢いだけ良くて、道中普通に道を間違った。
何とかハローワークに到着し、大文字と小文字の使い分けに苦戦しながら求められるままにパソコンに言われるがままの情報を打ち込み、マイページだかなんだかの登録を済ませた。
パソコンまで案内してくれたお姉さんに「パソコンの使用は大丈夫ですよね?」と穏やかに聞かれ、自信満々に「はい、やってみせますとも」と答えたのは一体何だったのか。度々エラーを叩き出して次に進めなくなっては悲しみに暮れて鼻を鳴らす犬のようにお姉さんを呼び、助けてもらった。その説はお世話になりました。
登録を済ませた後は係の方に呼ばれそこに向かった。穏やかで、物腰柔らかな男性だった。安心した。応募したい求人を見せて紹介状を出してもらいつつ、改めてその内容を確認しながら「随分待遇いいですね?」とか「良すぎて詐欺かなと思いますよね」とか言い合った。「今のご時世、いつ何処で騙されるか分かったもんじゃありませんからねぇ。ワッハッハ!」と朗らかに言われたのが忘れられない。尖った職業安定所の職員もいたもんだ。
出してもらった紹介状を握り締め、書類選考用の履歴書を書き、資格証のコピーなどを取りに行った。資格証のコピーしか用事の無いはずのコンビニで200円のコーヒーゼリーを買ったのも今はいい思い出である。
先にオチだけ言わせてもらうが、私は面接に落ちる。
最速で不備なく書類を出したはずが、その後の連絡がなかなか来ないまま時間が経過した。その数日間私がしたことと言えば落ち着きなくあちこち歩き回り、もう畳んであるタオルをまた広げて畳み直し、また広げそして畳み直すという奇行がメインだった。妖怪タオル畳みの誕生だ。妖怪タオル畳みは時折妖怪Tシャツ畳みにもなった。危うくもう少しでマルチ畳みストとして名を馳せるところだった。
やっと連絡が来たものの、それは面接の日程の連絡ではなく施設見学の案内だった。大抵の場合が面接と見学のセットなので面接と切り離してくれるのは有り難かったが、じゃあ今日来てくださいという豪速球にびっくりした。私は現時点で観客席側に居ると思っていたのに、知らぬ間にバッターボックスに立っていたらしい。
しかし、そこは特に予定の無い無職。「えぇ!?今日ですか!?」ということもなく、「はい、喜んで〜」と居酒屋よろしくその場でOKを出した。今思えばあの時点であの軽薄さは駄目だと思われていたのかもしれない。ぐうの音も出ないとはこのことだ。
無事に見学を済ませ、「それでは面接の日程はまた日を改めてお知らせさせて頂きます!」と丁寧に玄関までお見送りされてからまたやや暫くの日数を要した。6月から動いていたこの話は堂々と7月を跨ぎ、日々私の心と体力を削っていった。ここの話がどうにかこうにかならない限り、どうにも身動きが取れない。それがしんどかった。
私は器用な人間では無いので、他の転職活動を頑張る人と同じように常に何社も受ける気力も根性もやる気も無い。一度に一個のことしかあんまりやりたくない。いい歳してなかなか人生舐め腐った大人なのだ。
だから、面接の日程が出るまでの間のあのどうしようもない焦りや胃をゆっくり捻られるような痛みは私の自業自得とも言える。そしてその感覚は面接終了後の一週間後も日々悪化しながら引き続き継続されるのであった。
正味な話、生きた心地がしなかった。毎日今すぐにでも助かりたいの一心だった。
経験上、人生でそんな思いをしている時に食べたものや観たものには当時の感情や具合の悪さが色移りしてしまう感覚があって、なるべく好きなものを観たり食べたりしないようにしていた。特に好きでもなく、なんの思い出も無く、完全にその場のノリだけで買った3個パックのたまご豆腐などを食べて凌いだ。
先程既にネタバラシ済みだが、結果として応募から結果まで一ヶ月間を要した面接には落ちた。結果が出たのは昨日のことである。
昼頃、アパートのポストに封筒がねじ込まれる音がして、その時点で何となく察していたが届いていたのはやはり面接を受けた施設名が入った封筒だった。それを手に取った時、私の中にあった感情は面接に落ちた落胆なんかじゃなかった。
勿論受かりたかったし、あそこで働いてみたかったけど、それにしたってたかが一ヶ月で感情と体調が滅茶苦茶になった己の弱さと脆さに自覚があった手前、落胆よりも確かに私の心を陣取る感情がそこに居た。それは安堵だった。今日の夜からまた眠れるな、と思った。
一ヶ月の間、そして結果が来たその後、今転職活動を頑張っていらっしゃる方や過去にあったことを話に来て下さった方が沢山居た。応援してくれて、励ましてくれて、笑わせてくれて、慰めてくれて、力になってくれた。全部が有り難かった。愛おしかった。
韓国在住のフォロワーは動揺したのか「げ、元気出して…日本で買えるおいしい韓国のお菓子教えてあげるから…」と言ってお菓子を教えてくれた。勘違いだったら申し訳ないが、この方は以前も私に同じような理由で日本で買えるおいしいキムチを教えてくれた人と同じ人のように思う。
おろおろしながら惜しみなくおいしいお菓子を幾つも教えてくれて、嬉しかった。メッセージを読んでる時、穴場の木の実の木を教えてくれる頬袋パンパンのリスが常に頭の隅っこに居た。
この一ヶ月は私にとっては仕事のことのみならず本当に激動で、濁流で、色んなことが一気にあり過ぎた。苦しかった。何に対しても自信なんか無かったし、何に関してももれなく不安と心配がディップされておつまみ感覚でどんどん頭の中に運ばれて来た頃合いで、友達がメッセージをくれた。
「今、色々と苦しいかもしれないけど。多分今のあなたにしか書けないものがあるよ」
そして最後にこんな一言が添えられていた。
「Twitterのいいね欄見れなくなったから、独り占めにしているものを寄越してください」
昨日は久々にゆっくり眠れたし、今日からまたのろのろと次に向けて動き出す中で漸く友の言葉に対しての最適な返事を思いついたので、敢えてここで返事を返したい。
その文句はイーロン・マスクに言え
追伸
ありがとう