寧ろ私が聞きたいと思いながら介護の仕事のコツについて書くなどした
介護福祉士であることを公言しているからか、SNSをしていると主に匿名メッセージサービスマシュマロを経由して質問や相談を頂くことが多い。
大体は介護の世界に入りたての方から介護職において気を付けた方がいいことは何か、避けるべきことは何か、現場にこういう職員が居るがどう対応したらいいか等。
先に言っておくが、私は役職者という立場になったことはない。打診されたことは数回あったが、全てのらりくらりとかわして生きてきた。理由はただひとつ、めんどくさいからである。役職者になることによって給料が30万も高くなるというのであれば「どれ、ひとつ話をお聞かせ願おうか…」となるところを、通常の介護職とどっこいどっこいの値段で責任と仕事だけ増やそうという魂胆が気に食わない。実際、目の前で潰れていった役職者達を何人もこの目で見て来たからというのも大きい。
仕事量と責任がどっかりとのしかかる上、夜間のオンコールの対応まで入れられればお先真っ暗だ。帰って来たらただのぐうたらな人間に戻りたいし、夜は仕事の何もかもを放棄して朝までぐっすり眠りたい。長年この仕事を続けて手に入れたものは、施設職員としての向上心ではない。自分の生活と暮らしを守り、自分にとっての平穏を保つ向上心だ。それは何故か?これも答えは簡単だ。それを守れなければ、例えどんな業種だろうと心の息が続かなくなるからだ。
こんなぐうたらな前置きを敢えてするくらいなのだからもうここらで察して頂きたいのだが、これ以上読んだところで「掴もう仲間!未来!最高の仕事!」というこの世の全てにキラキラと希望を抱かせるような言葉は一切出て来ない。
この記事はnoteの応募企画に寄せて書いているものの、概要を読んだら明らかに場違いな気さえしている。募集側的には前述した光属性労働人(はたらきんちゅ)の希望いっぱいの、なんというかインスタやFacebookで仲間との親睦会やフットサルや休日のバーベキューやキャンプの写真を複数枚載せ、ハッシュタグに
♯ 最高の仲間に感謝 ♯ 人生死ぬまで自分磨き ♯ 仲間と過ごす最高の休日
などと自分の心に嘘偽りなく書き連ねるようなことが出来る皆さんなのだろう。そこに突然「大したお金貰えないなら全然偉くなりたく無いです。夜は眠いし、朝まで寝たいです。水木しげる先生も似たようなこと言ってました」と唐突にかの水木しげる先生をも持ち出して持論を展開する女がやって来たとなれば、そりゃあもうアウェイもアウェイ。お帰りあちらですと言ったところであろうか。
だけどまぁ、そんな私でもこれだけの人が相談や質問に来ているのだ。恐らく世の中というものは自分の想像の数倍以上に藁をも掴む思いの方がいらっしゃるのかもしれない。
特に介護業界とは万年人手不足、成り手不足の業界だ。そんな中でも介護という仕事を選び、迷い悩みながら、一生懸命に働いていこうとする方々の力になれれば幸いだ。
以降、私が在籍時に新人さんに必ず伝えていたことを箇条書きで書き出そうと思う。
①最初の一週間なんか、利用者さんの顔と名前を覚えられれば80点は獲得してるようなもん
これは常にお伝えしていた。何処もそうだとは断言出来ないが、大抵の施設は常に人員が足りずに余裕が無い。入職一ヶ月も経たない新人が新たな新人を教えるケースもザラにある。
そんな中、働く側はやはり入職したからにはと一生懸命に何もかもを脳みそに吸い込もうとするのだが、例え脳みそが星のカービィの姿をしていてもそれは無理な話だ。
施設の形態によるにせよ人間1人で10人20人30人、時に50人の人間の名前や顔や持病に対応まで覚えるのは到底無理がある。仮に1日でそれを丸暗記するスーパーヒューマンが実在するのであれば、私は別に介護の仕事に対して自虐的な気持ちは一切抱いていないものの、介護施設で介護の仕事する前にもっと何かあるんじゃないのと思えてしまう。記憶力を駆使して世界のクイズ王になるとかさ…。
施設の中には余りにも人が足りず、余裕もなく、入って数日の職員に「マジで早く覚えてね」などと言い放つ人間が存在する場合もあるが、私の持論は書いた通りだ。入職して一週間なんて、顔と名前を覚えられれば80点は獲得しているようなもんなのだ。100点を目指す人にとっては物足りないかもしれないけれど、入職1週間で80点とはなかなかのハイスコアだと言えよう。
それに、何をするにも顔と名前が一致しなければ始まらない。私がこの世界に入りたての頃、右も左もそこに座っているのが果たしてじいさんかばあさんかもぱっと見判断つかない入職初日、「◯◯さんトイレに連れて行って」とだけ言われて大層戸惑ったものだ。
その◯◯さんというのが誰なのかわからない。そもそも、じいさんなのかばあさんなのかも判断がつかない。仮にその方の名前を佐藤さんとしよう。はて、佐藤さんとは誰だろう?見渡せばそのフロア内にはよりどりみどりの高齢者の皆さんが思い思いに過ごされていらっしゃる。この数十名の中から勘で佐藤さんを選ぶわけにもいくまい。
意を決して指示をした先輩職員に「すみません、佐藤さんというのは誰でしたかね…」と聞いたところ、大砲のようなため息をつきながら「さっき言いましたよね、あれです」と指を差して言われたりなどした。
当時、私は何に対しても傷付く繊細な飴細工のような心をしたまだ10代のうら若き乙女であったが、飴細工なりに自分へのその態度や扱いよりも利用者さんに対してアレ呼ばわりな上に、挙句指を差すとはふてぇ女だという怒りと不満が大きかったのを覚えている。そこに法さえ無ければ差した指を反対側に曲げていた気さえする。
自分の新人時代にそんな治安の悪い経緯がある手前、以降職場が数回変われど自分が教える立場になった時は「顔と名前の一致を一週間以内に目指しましょう。まぁ、関わっていくうちにキャラが濃い方から覚えていくものですからね…」のスタンスで接してきた。人間の記憶とは関わりの深さや印象深さが大きく関係していると思う。
なので、もし入職してあれも出来ないこれも覚えられないと焦ったり落胆している方がいらっしゃるなら、顔と名前の一致がするようになって来ているのならそれは期間問わずとも80点は獲得しているのだと思ってほしい。
余談だが、新人さんに関わりの中で覚えてもらおうと利用者さんの居室を回った際に、私が利用者さんを紹介するところを逆に利用者さんから私を「このお姉さんはね、いつもワシの部屋に頼もう!!って来るの。毎日道場破りされている思いです」と紹介されたことがある。もっと無かったんだろうか、おあつらえ向きのエピソードは。
②報告とか言うから仰々しくなるのだ。報告とは責任ドッジボールである、球数は多ければ多いほどいい。
なんだかとんでもないことを言い出したと思われるかもしれないが、介護現場とは昼夜問わず緊急事態が起こりやすい。利用者さんの転倒、転落、体調の急変など。報告とは、事故や急変につながる前に事前の気付きという意味で必要になってくるものだ。しかし、これに関してもやはりこの問題が付き纏う。そう、その日出勤の職員との人間関係だ。
こういった類の話をすると、人間関係がどうであれ仕事は仕事なのだから相手が誰であれ割り切ってやるべき仕事を遂行云々言い出す人間が居るが、労働の8割9割は人間関係が占めていると感じている人間にとってはそんな簡単でシンプルな味付けは塩のみのような結論に至ることは出来ない。
窺うのはまず質問なり報告なりしなければならない上司の虫の居所であり、ご機嫌であった。
労働のほうれんそうとは本来報告・連絡・相談であるが、一番最初に勤めた職場はちんげんさいだった。沈黙・幻滅・最悪の気分である。何を聞いても「はぁ?」と幻滅され、後に地獄の沈黙の中に不機嫌なオーラが漂い、残された勤務時間を最悪の気分で過ごすのだ。毎回そんな目に遭っていれば、本来相手が誰であろうとしなければならない報告も連絡も相談も出来ない環境が出来上がっていく。
そんな職場で毎日胃を壊しながら働いていた時、当時のリーダー職が教えてくれたのがその言葉だった。
「報告なんて考えるからややこしくなるしやり辛くなるんだよ。おう、お前がどう振る舞おうが言ったかんな。手書きの記録にもPCにも、ついでに日誌にも書いておくかんな。言い逃れ出来ねえかんなって気持ちでやればその瞬間にそのことへの責任は相手に移るから。押し付けんだよ、責任をよ」とのことだった。
治安の悪い施設で生き抜いてきた人の言うことは違うなぁと思ったし、それにしてもヤクザの兄貴分のような物言いをする人だとも思ったが、これが後々とても役に立ったし自分自身を守ってくれた。
報告とは責任のドッジボールである。球数は多ければ多いほどいい。しかし、ぶつけたり押し付けたりして終わるわけではない。内野であれ、外野であれ、それ以降も経過は自分で見なければいけない。そして新たな何かを見つけたらボールを持つのだ。確実に行け。
③ありとあらゆる特技を隠し、さっき生まれたばかりの子犬を装え
またしても意識が地を這うようなことを言い出した自覚はあるが、これも本気と書いてマジで言っている。あなたがもしもカラオケに行けば必ず高得点を出す歌声の持ち主だろうが、曲が流れれば踊り出しフロアの全てを熱狂させる令和のジョン・トラボルタだろうが、ギター1本でしんみりと聞かせる天性のシンガーソングライターの素質があろうが。兎に角その特技は隠すべきである。何故か?レクと名のつくもの全てに何らかの形で協力させられる羽目になるからだ。
介護業界ではレクリエーションというものがある。毎日のちょっとした運動を兼ねてのレクから、クリスマスや敬老の日などに開催される大規模なものまで様々だ。その企画において、もしあなたが歌を歌えたり踊りが上手いことを知られたときのことを考えてみてほしい。ピアノが弾けたらどうか、ギターが弾けたらどうか。その他、マジックだとかちょっとした芸だとしてもいい。答えは明白である、レクの見せ物として披露するのを求められるのだ。
百歩譲って、自分の担当する企画のレクだけなら、その時だけの一時的なものならば良い。しかし、現実はそうはいかない。
何度も繰り返すが万年人手不足の業界だ。一度あることは二度も三度もある。人が足りない分、自分がバッターボックスに立たされる巡りが異様に早い。気が付けば担当でも無いのにレクのメインとして組まれ、企画当日に休み希望を出しても拒否され、長年勤務しようもんなら終いには「まぁ、レクはあの人の◯◯(特技)があるから大丈夫っしょ〜」という慢心が施設側に生まれる。
バッターボックスに立ちながらピッチャーも守備も自分がやる羽目になるとは誰が想像しただろうか。大谷翔平でさえめちゃくちゃ文句言うと思う。なんなら小脇に抱えた犬もハチャメチャに吠えるに違いない。そりゃあそうだ、その権利がある。
実際そのような扱いが安定してしまい、それをすることで特別にお金が出るわけでもないのにレクの度に駆り出され趣味や特技であった筈なのに嫌になってしまった人などを数多く見てきた。
特技も、趣味も面接で聞かれることはあるだろう。自己PRにもなるのかもしれない。しかしながら、私はそれを大っぴらにすることは介護業界ではおすすめしない。そうすることで、自分の心と平穏を保つことが出来る。
レク大好き、人に喜んでもらうの大好き、それに伴う残業や別業務が膨大になっても全然苦じゃないし寧ろ喜び!というタイプの方が居たら申し訳ない。その際は全然気にしないで労働に励んで欲しいし、歌でも演奏でもダンスでも披露していただきたい。施設が求める逸材とはあなた方を指すのかもしれない。
絶対上記のようなことは避けたい方のみ、子犬を装ってほしい。
職場に子犬が居たら可愛いし、嬉しいので。
④全員と仲良くしろとは言わないが、揉め事を少なくする意味合いでも世間話をたまにするくらいの仲であれ
タイトル通りの意味である。小競り合い程面倒なことはなく、巻き込まれる側は堪ったもんじゃない。仲良くしろとは言わないが、揉め事を少なくする意味合いでもたまに世間話をするくらいの仲であれ。他人と同僚の丁度良い距離感が、ここに圧縮されている気がする。更にもう一文足すとするなれば、揉めた場合はみみっちいことしてないで相撲なり取っ組み合いで決着をつけろと言いたいが、絶対賛同を得られないのでこれはやめておこうと思う。
⑤多少おかしなことがあろうとも、半年程は職場内で沈黙を貫くのが得策かもしれない(※時と場合と己の体力と気力とその日の天気と機嫌と体調と空腹の具合による)
これは介護職以外でも当てはまる可能性がある。未経験者には未経験者の視点で、経験者には経験者の視点でその職場独特のルールや謎の流れというものに遅かれ早かれ気付く時がやって来る。この場合別に気付いた時点で口にしてもいいとは思うが、あまりそれをして上手く事が運んだ人を見たことがない。
ぱっと見どんなにおかしくとも、妙でも、働いてみると納得はいかないが意味は分かる瞬間が来たりする。
その正体は経営者の謎の拘りだったりするし、散々現場側で試行錯誤した上でこうなるしかなかった結果だったりと様々だ。前者ならまだいいが、後者である場合「物の分からねえ新参者がよぉ…」と先に働いていた同僚達の作画が全員刃牙になり兼ねない。入ったばかりの立場ではまだ人間関係も構築出来ていないし、味方も得られにくい。
勿論、利用者への虐待や不正などに対しては沈黙する必要はないしどんどん声をあげていくべきと思う。ただ、もしもそれが小さな違和感やイラつきであるなら、様子見しながら爆発しない程度の小出しに収めた方が後々自分が助かると思う。
半年としたのは、半年もすれば大体夜勤も早番も遅番も回すようになって独り立ちしている頃だ。同僚との関係も何となく出来はじめ、誰に何を話しそして誰には何を言わないべきかが見えてくる。
ガス抜きをするつもりが逆にガスを注入され暴発させるようなことを言う人間、人間館内放送か貴様はと言わんばかりに聞いた傍から言いふらす人間、いろんな人間が複数人集まって職場とは成り立っている。
視野を広げ、目の前の業務に追われながらも周りが見え始め、良くも悪くも色んなことが分かり出す目安が私の中では半年だ。自分が周りや内情を分かり始める分、周りもまた自分の動きや言動や振る舞いで理解や解釈が何となく固まり出す頃合いでもある。
思えば、目玉焼きと似ている。黄身に急に熱を通して短期決戦で行くのか、それとも火を弱くして自分好みの黄身加減を狙うのか。長くそこでと思うのであれば、私は短期決戦はあまりお勧めしない。時を待て、フライパンの側でその時を待つ人間は案外近くに居るものだ。
⑥言うて直感には従った方がいい
言うて、耐えろとは言わない。常に求人出してる割に新人に対して横柄だったり、雑だったり、場所などを聞いても「あっち」だの「そっち」だの言ったり、常に職員の罵声怒声が聞こえていたりしたら「あぁ〜、求人常に出ることはあるなぁ」としみじみ退職届を書くのも手である。
経験上、下手に長く在籍するとどれだけ理不尽な扱いを受けようとも同僚や利用者さんとの間に絆が芽生えたり、自分の数年が間違いや無意味であったと思わないように自分への防衛本能で金額や残業は少ないなどいい所を絞り出そうとする。出て来るものはもう残りが殆どない歯磨き粉のチューブのように、散々振りに振って何とか出て来る数センチ程度のものだが、疲れてくるとその数センチさえ絶対的安心に錯覚してしまう。
そもそも同僚や利用者さんへの思いがあるのは良いことなのに、退職や環境を変える際に未練ならまだしも完全に判断を鈍らせる枷のようにさえ思えてきたら、それはその場からの離れ時なんだと思う。正常な判断が出来ていないからだ。
慣れは時に、ありとあらゆる感覚を鈍らせる。入ってすぐの場所であっても、新人研修中であっても、「きな臭いぜ!好かないぜ!!やべぇ臭いがぷんぷんするぜ〜〜ッッ!!!」と心の警察犬が吠え立てるほどの違和感を幾度も感じるのであれば、犬に従った方がいい。大抵予感は当たる。
ソースはかつて勤めたり研修受けた職場が4つほど潰れた私。お陰様でやべえところは直感で分かるようになった。別に面接に全身ブランドで固めたスーツで来た施設長の施設のことじゃないし、経営理念や理念じゃなくとも施設内にやたら愛だの絆だの信じ合う心だの365日24時間テレビでもしてんのかという掲示物が事務所内やフロアに貼り出されてるところ大抵アウトとか言わないし、経営と内部が荒れてるところというのは大抵事務所や詰所が荒れてるとかは言わない。全然言わない。
総評
コツなんかなくてもただお金稼ぎに来てるだけなんだから、心身共に健康で平穏無事に生きたいもんだな。
完