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学び続けることの意義
いまでは「ガチャ」が一般に普及したこともあるのか「●●ガチャ」という言葉をよく聞くようになった。
人生もガチャのようなものだ、として「人生ガチャ」なんて言葉もある。昔であれば「人生は運ゲー」とでも言われていたのだろう。
確かに人生が運に左右されることは多い。いまでも付き合いのある友達との出会いの瞬間など、運以外の何物でもないし、受験なんて当日の問題が得意であれば受かるし、苦手なら落ちる。運の要素は極めて大きい。
よく「運ゲー」や「ガチャ」である限り、人生を頑張ることそのものに意味が無い、という主張をみる。無理に頑張って運という因果をひっくり返そうとするのは、確かに無茶な芸当である。等身大の自分で生き続けることは、とても心地が良いだろう。
それでもいまの自分を受け入れてください、といわれると不満を覚える人が一定数いるのも事実だ。
「自分の人生はこんなものではない」、「こんなもので終わってたまるか」と強い思いを抱いて、努力をしている人がいる。その結果、何らかの成果を得た人もいる。
それも「運だ」と批判する向きもあろうが、はたして「自分の人生はこんなものではない」と思って努力をした人の人生は、努力をしなかったときと変わらなかったのだろうか。努力をしたことによって訪れた運らしいものがあるのも事実である。
つまるところ、いくら人生が運ゲーであっても、頑張っても意味はないというのは必ずしも正しいとは言えない。
天才ならまだしも、私たちのような未だ何者でも無い人間にできるのは、ちょっと頑張る一日を繰り返すことである。
努力をして訪れた運を生かした人は、頑張り続ける日々のなかで訪れた運を自然とつかみ取っている。それは「こんなことやってみない?」とか「急なお願いなんだけど代わりにやってもらっていい?」とか、そんな一言である。
もっといえば「ちょっと頑張る一日の繰り返し」というのは、運をつかむための準備とも言って良い。
だからこそ努力をすることがこれほどに価値があるといわれるのだ。誰しも努力を継続することの大事さはわかっていても、ついつい怠ってしまうのが人間だ。
誰しも晴れやかな業績についつい目が行くものだが、できるようでなかなかできないことにこそ「運ゲー」攻略の肝はある。