見出し画像

大学に天皇陛下がいらして授業が中断した話

少し前、栃木県の那須塩原のほうに旅行に行った。その際、途中乗ったバスで「このなかで那須塩原駅に行かれる方はいますか?」と運転手が突然聞いてきた。

何事だろうと思いながら見ていると、「今日は那須塩原駅に天皇陛下がいらっしゃるので立ち入りが禁止になっていまして、手前のバス停で降ろします」と言っていた。私たちは別の駅で降りたので陛下を拝謁するには至らなかったが、御用邸がある那須ではそんなこともあるのかと大変驚いた。

私は天皇陛下にお会いしたことが一度だけある。
平成時代であるものの、大学のころである。以前触れた、本を読まない文系は死ねと言った先生の授業で先生が「最近の右翼は安易な漢字ばかり使っていてけしからん。教養がない」「そもそも旧字体を使っていない時点でダメ」などと、いつものように厳しい口調で最近の極右をこき下ろし続けていた。その最中、先生が突然「そう言えば今日は学校に天皇陛下がくるらしい」と話し始めた。

不勉強な私は天皇陛下が大阪に行幸されているとは全く知らず、言ってしまえば不敬の限りを尽くしたわけだが、先生が「大体●時くらいに車で通るらしいのでその時見に行こう」と言い、本当に15分くらい授業が中断になったことがあった。

大学のキャンパスはとんでもない人だかりができていて、本当に車がキャンパス内を通り、一瞬手を振られているお姿が見えた。人生で二度ある話でもあるまいし、非常に印象深い。

様々な国の歴史を学んでいると、国家のトップが革命を通じて殺されたり、国を追われたりすることは決して珍しいことではない。実際、中東のシリアではアサド大統領が亡命したという報道が流れたのは記憶に新しいだろう。必ずしも国のトップが国民に愛されて敬愛されている、つまり「愛される権威」であることは自明ではない。
不思議なもので、権威があるかのように振る舞うと、その人はわざわざ大きな権力を振るおうとするものだ。世の中にいる大体の偉い人はそうである。
それだけに、権力を振るわずともなぜか人が付き従うような権威を持つ天皇陛下(しかも、国民の多くが好意的な思いを抱いている)をいただいているということに、もっと私自身感謝をせねばならんのではないか、と感じた次第だった。
もっとも、30を超えていい年になってようやくこんな当たり前の事実に気づいたという体たらくなわけで、極右に厳しい先生に言わせてみれば「遅すぎる」と一刀両断されそうなものである。

いいなと思ったら応援しよう!