ともだち100人できるかな
「一年生になったら」という歌のなかに「♪ともだち100人できるかな」という歌詞の一節がある。
100人のともだちと給食を食べたいとかおにぎりを食べたいとか、普遍的な欲を歌っている。私が一年生の頃は学年に80人くらいしかいなかったので「全員をともだちにしても100人にならない」などとひねくれた考えを持っていたのだが、いつの間にかそんな愉快な歌を歌うこともなく、およそ25年の日々が流れた。
社会人になると、「ともだち」と呼べる関係とは非常に少なくなる。
SNSをみても友達やフォロワーが100人はいるわけだが、会ったことのない人だったり、友達でもいまやほとんど会っていない人だったりして、「今でも付き合いがある」と絞ってみると、良いところ20~30人くらいのものである。
これだけたくさんの人に会ってきたのに、そのうちともだちと呼べる人はごくわずかだ。
私の人生での人との出会いは、その場限りの、かりそめの、消費されてきた出会いが多かったのだろうか。
そんな風に考えると、どこか哀しくなってくる。
でもよくよく考えてみると、仕事では大概の人間関係が消費される関係だ。
「お世話になっております」
「今後ともなにとぞよろしくお願いいたします」
などと毎日のように言いながら、今でも付き合いがあるひとがどれだけいるのだろう。
谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』という書物に収められている「生長」という詩には、以下のような一節がある。
この一節に出会って、私は「今」しか見ていなかった幼さに気づかされた。
今の私の「ともだち」観だって、同じように「昨日まで」ではないかと知ったのだ。
幼かったあの日にともだちだったひとは、いまともだちではなくなっても、間違いなくともだちなのだ。だって、確かにそのときには、私にとってのともだちだったのだから。
小学一年生の頃だったなら、その幼さゆえに、「今」しか見えていないのも無理はない。でも大人になったいま、歩んできた「過去」が自分の後ろにあるということに気づくべきである。
過去の人間関係を過去のもの、つまりは「終わったもの」として見ているからこそ、自分の認識する「ともだち」が少なくなったように見えてしまう。
自分の過去を顧みずに生きてきたからなのだろうか、これからも成長していくのだと疑わず未来へと歩んできた自分がいる。それは「ともだち100人できるかな」と歌っていた小学一年生の頃から、ずっと変わらない思いだったのかもしれない。
でも年を重ねれば、そんなものがいつかは終わることにも、薄々気づかされる。背の成長は止まり、知識は剥落し、瑞々しい感性は衰えていく。誰もが詩人であった幼年期を見る影もなく、現実の中に感性は少しずつ固さを増して、しなやかさを失っていってしまう。
そういう現実に刃向いたくて、過去を見ずに未来へと突き進んでいたのだろうか。衰えていくことを受け入れることなく、止まることを受け入れることなく、頑として反抗し続けた結果が、きっと私にとってのともだちの見方に現れていたのかもしれない。
いっそ、自分が衰えることを受け入れ、止まることも受け入れ、少しだけ過去を見ることだって、別に悪いことじゃない。
振り返っても退屈しないほどの道があり、そして振り返るだけの余裕が出来たことに、少しは誇りらしいものを持っていいのかもしれない。そんな風に思ってくるりと人生を振り返ったとき、私の周りにはたくさんの人がいた事に気づかされるのである。
途端に自分の「ともだちリスト」に光が射す。一歩一歩道を戻りながら、思いだしてみる。
転職をしているから前職のともだちもいたし、社会人になってからできたともだちもいて、仕事をする前には大学のころのともだちがいた。その前には高校のともだちがいて、中学のともだちがいて、小学校のともだちがいて、幼稚園のともだちがいて、入院していた時に会った病院のともだちがいて、公園で会った名前も知らないともだちがいて、水泳をしていたときのともだちがいて、天国から見ているともだちもいて――考えてみれば、100人なんてくだらない。
「ともだちが少ない」などと口走っていた自分がどこか恥ずかしくなってくる。
「今」の自分にともだちが少ないのに過去を振り返ればともだちは100人以上いる。私が幼年期に、確かに、ともだちとともに人生を歩んできたからに他ならない。
私が感謝するべきは、「ともだち100人なんて…」といぶかしみながらも「一年生になったら」を歌い、いつの間にかともだちをつくっていたあのときの私だったのだろう。