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都会に潜むグロテスク

哀しいかな、いまでは「パパ活」という言葉がすっかり広まっている。
20~30代の女性が経済的に余裕のあるおじさん(=パパ)と食事をしたりデートをしたり、時には肉体関係を取り結ぶことで対価としてお金をもらうことを指す。
食事やデートでお金をもらうのはともかくとして、肉体関係を取り結ぶと売春になるので法的に問題があるため、社会問題として多くの人が認知するに至っている。

夜に新宿・歌舞伎町のあたりにいくと、いわゆるパパ活と思しき中年男性と若い女性が食事処から出てきていたり、一緒に歩いていたりする光景を目にすることがある。
本当の父と娘の関係とは明らかに異なる雰囲気で、大体の場合は見ればすぐにわかる。
金を求める女と精神的な空虚さを埋めようとする男の需給が互いに合致しているだけなのであれこれ論評しても意味はないのは十二分に承知しているのだが、歌舞伎町でそうした「パパ活」の様子をみると非常にグロテスクだ。

40~50代の禿げたおじさんと素人の若い女性がともに歩いている様子はそれだけで明らかに不釣り合いで違和感がある。会話の内容も実にふわふわとしていて、言葉を選ばずにいうと「目も当てられない惨状」が起きているような感覚になる。金を儲けようとする方も大概だが、いい年をしたおじさんが心の隙間をそんな風に埋めようとすること自体が異様である。

以前飲んだ友人が、「40、50代になったときに独身のままいたとき、精神的な寂しさに耐えられるかどうか漠然と不安になっている」と言っていたことがあった。40、50歳へと年を重ねた時の独り身の不安や寂しさを理解するのは難しいけれど、いくらさみしさが自らに訪れたからとはいっても、明らかに「パパ活」の様相にはなんとも言葉にできない気持ち悪さが漂っている。

見る分には純粋にエンタメだとして楽しむ人もいるようだが、私はどうも首肯できない。金を払ってまで見ず知らずと女性と食事をすることで埋められる不安とはいったい何なのだろう。二度と会うことのない二人のいびつな影法師に、現代社会の闇を見た気がした。

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