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夏フェスコンプレックス
この時期のインスタグラムを覗くと、必ず誰かが夏フェスに行っている。ろっきん、さまそに、ふじろっく……有名どころの名前こそ知っているが、それはあくまで「ロゴ入りのマフラータオルを広げながら、芝生の上で、彩度のすごい写真を撮る」という行事として記憶しているだけで、私にとっては知らない国の季語みたいなものだ。
私は、夏フェスに行ったことがない。
音楽は好きだ。
小学生までは親のカーステレオから流れる昭和の名曲だけがレパートリーだった私も、中学生の時に好きな邦ロックバンドに出会った。それからは少ないお小遣いで新譜を買い、ラジオを聴き、好きなバンドが影響を受けたというバンドがあればTSUTAYAへ通った(当時は1000円でアルバム5枚が借りられる金欠学生にとってうれしいプランがあった(^^♪)りと、知ったばかりの音楽の世界を目一杯楽しんだ。
初めてライブハウスに足を踏み入れたのもこの頃だ。
暗い&知らない人ばかり&お酒も売っている空間は中学生にとっては大変刺激的で、うっかり生徒指導の先生に出くわしやしないかと常に身体を小さくしていたのを思い出す。当時私が好きだったバンドはまだインディーズだったのでメンバーとファンの距離が近く、TwitterでDMを送ればチケットやグッズを取り置きしてもらうことができた。つい先程までステージで輝いていたメンバーから直接「今日も来てくれてありがとう」と声をかけてもらえるうれしさ!もしかしたら現在のアイドルオタクとしての素養もこの時に育まれていたのかもしれない。純粋な音楽愛好家から見れば邪な姿勢だったかもしれないが、とはいえここまでは標準的な音楽好きルートから大きく外れることはなく順調に成長していたように思う。少なくとも、フェス名をひらがなで列挙するような大人に仕上がるなんて、予想していなかった。
中三の夏、同じラジオを聴いていた友人たちからある夏フェスに誘われた。閃光ライオット、というそのフェスは、出演者が10代アーティストに限られ、音楽界の甲子園的な性質も持つという、いわば音楽ビギナー中学生のフェスデビューにはうってつけの好機だった。
ところが私は当時それなりに忙しい部活に入っており、日程が合わず参加できなかった。おそろいのラバーバンドを着けた拳を、アラバスタ編のクライマックスのごとく空に突き上げている写真がグループLINEに届いた。うらやましすぎて倒れそうだった。来年こそは絶対に、ラバーバンドをじゃらじゃらと重ね巻きして空を殴る女子高生に俺はなる!と心に決めた……のだが、悲しいことに高校生になると部活動はより一層活発になり、とうとう卒業までその機会は来なかった。
大学生になった。高校は忙しかったとはいえ、自分のペースで音楽を聞き続け、好きなバンドもジャンルも随分増えた。アルバイトを始めてお金も時間もできるはずだし、閃光ライオットにこだわらず、大型フェスにたくさん行くぞ!と鼻息を荒げていた私だったが、ここでも夢は砕かれることになる。
新型コロナウイルスのご登場である。
瞬く間にありとあらゆるエンターテイメントが中止の嵐に追い込まれ、私も六畳の部屋のなかでSHISHAMO「君と夏フェス」をしくしく聞く夏に閉じ込められたのであった。そこから今にいたるまで、私と夏フェスの距離は、遠ざかるばかりだ。
……どうして?
確かにコロナ禍の二年ほどは制限されていたフェスだったが、最近は例年通り開催されている。今、行けばいいんじゃないの。
そんな声が聞こえてきそうだ。
ところが不思議なことに、自粛生活が明けたころには、私の夏フェス願望はすっかり消えてしまったのである。
インドア生活が極まって夏フェスに耐えうる体力がもう無い、というのも要因の一つではあるのだが、それ以外にも自分のなかで大きな変化があった。
元からひとりで音楽を聴くことのほうが多かった私。
憂鬱な通学路だったり、心臓が飛び出そうな試合前の招集所だったり、音楽はだらしがない私にも懲りずに、とことん一対一で向き合って、支えてくれていた。
その傾向が自粛期間、孤独を強いられる時間と空間でさらに強まって、私にとっての音楽は誰かと分かち合うというより、ひとりで聴くものになってしまった。
ライブ自体は今でも行くし、好きだ。
だけどその動機もモッシュやダイブに加わりたい!最近流行りのバンドを生で見たい!というアクティブなものではなくなってきた。
ライブ会場に集まるのは、ひとりひとりに別々の暮らしがあって、当たり前に泣きたいときがあって、たまに楽しいときもある、そんな顔も名前も知らない人たち。
私はもう「#日曜日だし邦ロック好きな人と繋がりたい」タグを使うことはなく、あくまで同じアーティストを愛好する他人同士として彼らと同じ箱に入り、それぞれが好きなように音楽を噛み締める。
今の私にとってのライブはいわば、日常のなかにある確認の場みたいな位置づけなのだ。好きな音楽を全身で浴びながら、音楽とともに越えてきたそれぞれの日々を振り返る──ああこれで合っていましたよね、私たちそれなりによくやっていますよね、と会場全体でゆるやかに讃え合う。そして演奏が終われば、僕は地下鉄なので、私はバスですので、ではまたいつか……と散ずる。シームレスに・粛々と、己の生活へ戻っていく。
そのくらいの温度感が今の私には心地良い。
それに比べて夏フェスはどうですか。ありえないくらい暑くて、身動きがとれないくらいの人がいて、知らないバンドも次々やってきて、トイレに行くのもめちゃくちゃ並ばなきゃいけなくて、最終的に会場がひとつにならないとだめな雰囲気があるじゃないですか!
……なんて聞きかじっただけの知識で夏フェスを腐そうとしたところで、意味はない。本当は分かっているのだ。
ありえないくらい暑くて、身動きがとれないくらいの人がいて、知らないバンドが次々やってきて、トイレに行くのもめちゃくちゃ並ばなきゃいけない……のは改善されたほうがいいかもだけど、そんな非日常の熱狂のなかで会場がひとつになる、そういう瞬間こそがたまらなく楽しいということ。
そして私はおそらく、そんなふうに感じられるタイミングを逃してしまったということ。
行こうと思えば別に今年も来年も行けるのだけど、そうじゃなくて、そういう瞬間を心から欲していたころの私を会場に連れていってあげられなかったことが、今は切実に悔しい。
コロナは仕方がないとして(でも許さないよ!)、高校生のときにもし戻れたら、私は私に代わって部活をサボる電話をしてあげる。架空の親族の結婚式を毎年開催して、日比谷野音へ向かう電車に押し込む。そしていざ会場に入り、熱気にあてられてどうすればいいのかわからなくなっている私に、音への乗り方を教えてあげる。
それをすべてやり遂げたとき、ようやく私の夏フェスコンプレックスは解消されるだろう。つまりその見込みは限りなく薄い。
だけどもし、タイムマシンが開発されるもしくはその他の方法で奇跡的にそれが叶ったなら、私も夏フェスへ行ってみたい。年甲斐もなく……なんて気にせずに、なんなら年齢の数だけラバーバンドをはめて、音楽と熱狂に身を任せ、彩度を最大に加工した空へ拳を突き上げてみたい、と思う。
馬鹿みたいな夢想だとしても、そういう夏がどこかにあるかもしれない、という可能性が、私を次の夏まで生かす。
・・・
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