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適応障害診断から休職まで


前回のきっかけから、病院通いが続くんだけど、病院は5箇所くらいで診てもらった。4箇所から鬱病の診断をされ、1箇所だけ適応障害という診断だった。


わたしがまわっただけでも、先生は様々だった。
患者の顔を全く見ず質問だけで鬱病診断する人もいるし、カウンセリングみたいに話し聞くだけの人もいた。
精神病って診断するのが難しいのかもしれないけど、質問答えるだけで最初から薬いっぱい出すような病院はやめた方がいい。精神科は特に高額な機器はいらないからすぐ開業出来ちゃうし、薬出せば儲かるからへんな病院も多い。


体がしんどい中でこんだけ調べて移動するの、ほんとに辛かった。。PCを開くと目眩がするようになってしまったからスマホで調べるんだけど、10分もするとぐったりとしてしまう。

そういえばその異動してきた女子が、「最近寝れなくて〜ネットで診断したんですけど、わたし重度の鬱病みたいで〜」とかほんとに私の前から黙っていなくなってくれって思った。
それっぽい答えだしとけば「重度」になんかすぐなるんだよ。
デパス処方されたって自慢げに言ってた。デパスは精神科いけば割と出される薬だよ。言うな。恥ずかしい。(こんだけ悪口が言えるようになったのは、わたしにとって進歩。。なので甘めに見てください。。)


話はそれたけど、病院いってからもすぐは治らなかった。
薬は最低限の量、強さからはじめて、睡眠剤、精神安定剤を使ってたけど、異動女子が常に私を追い詰めてくるもんだからどんどん薬も強くなっていった。

仕事も減らないし、異動女子は側に居るし、根源の解決にはなっていなかったから当然と言えば当然。

なんせ病気のせいで認知の歪みまであるから、普通の認識だとおかしいとわかる事もわからなくなってる。
全て自分の責任で、自分が悪くて、ここにいる全ての人が幸せでないのは自分の責任であると思い込んでいた。
わたしに嫌がらせをしてくる異動女子のことですら、この子がイライラしたりいじめをしてしまうのは、わたしが理解してあげていないからだ、寄り添ってあげられていないわたしの責任だ。と思っていた。



病院に通い始めたこと、診断名は、マネージャーに一応報告しておいた。
部長と3人での面談が行われ、少し休みながら仕事をしようと提案があったが、当時のわたしは「休む」=「他の人に多大な迷惑がかかるとんでもない事態」という認知になっていて、休むなんて考えられないことだった。
休みません!そんな事できません!と、泣きながら言う勢いだった。
正常な判断ができていないな、と今なら思える。

結局、2日休んで出勤、みたいなペースで仕事してたと思う。病床手当なんて知らないからそんな働き方をしてしまった。もったいない。


体力も精神力も脳もおかしくなってる時に、まずは体を休めるというのは正しい判断だったんだけど、「休む」という罪悪感がわたしを付き纏った。

わたしがやらないせいで、わたしが出来ないせいで、期待されてたのに、人に押しつけてしまって。。

わたしは何も出来ないいらない人間だ。

そう考えてしまって休日なのに休めていなかった。泣いてばかりいた。



次の成果発表のとき、資料をまとめてみんなの前で3分だけ発表する。
せめてそれだけはしっかりやろう、としていた。

いざ発表の時。
緊張と不安で、呼吸が速くなり震えが止まらなかった。マネージャーを横目で見ると心配そうに、大丈夫だよ、とジェスチャーをしてくれた。

が、わたしは3分、もたなかった。

発表の最後に全社員の前で、震えと涙が止まらなくなり、途中退場してしまった。
水が溢れそうなコップから、遂に水が溢れて止まらない状態になった。

そうして私は休職した。

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