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地学科志望だった昔々の話

 地学科志望でした。
 昔々の話(80年代)をします。

1.地学との出会い

 高校入学は、ぎりぎりどころか危うい偏差値状態で受けた志望校に入学。
 そんな状態でもあったので、ずっと成績は下の方でした。
 
 中二の模試で偏差値62。
 入学した高校は60。当時は、もう少し上の高校を狙ってましたが、中三の夏の模試では52という値まで下がってました。原因はクラスの環境の悪さです。この時ばかりは、私立中学に行けば良かったかもと思いましたが、周囲の私立中はないので、中学受験する子なんて皆無でした。そういう子は、都内に早々と引っ越ししていったのでしょうけど、それでも後年私立中に通ったという同級生はいなかったので、私立中、あるいは中高一貫の学校の学習環境が整っているか知らずに話をしております。
 
 まあ、そんなわけで、そのランクでの高校なんて行きたくもなく、当初の志望を少し落として何とか受かったようなものでした。
 もう、燃えついてもいたので、塾に通いたくもなく、大学受験も乗る気ではありましたが、どこか面倒に感じてました。
 
 入学した高校は公立でした。
 一年度から最下位状態だったことで、クラスに馴染めず、特に国語と生物の教師の授業の対応が悪く、高3の数学教師とも折り合いが悪いという状態でしたので、勉強に身が入らずの3年間でした。

 しかしながら、唯一高3の担任だった教師が、偶然にも地学担当でもあった事と、最も過ごしやすい年でもあったので、この時受けた数学以外(理系クラスだったので、微積・確立の授業になります)は、成績は良かったです。
 とは言え、英語、地学以外の理科科目、社会系が思ったほど伸びず、特に英語は嫌いで嫌いで仕方がないほどでしたので、文系理系問わず、もうガックシの有様でした。
 ですので、模試をうけても、鳴かず飛ばず。もうやる気がない。
 なんとか、他の科目で補うしかないというもので、その特筆として地学は、ほぼ満点を打ち出してました。
 多分、覚える事が少なく、傾向と対策がしやすいのだと思います。
 
 中学時代は、化学と生物が好きでしたが、冒頭申した通り、高1の理科担当は、生物教師で、一方的に「私は高1生が嫌いです!」と発し、授業もさっさとさして、たまたまあたった生徒が正解したら、テストの点関係なく、成績「高」扱いと言うとんでもない教師でした。こういうのにあたるとね、もう気分悪くて。それから、理科どころか「高校はこういうところなんだと」何もする気が失せてしまいました。

2.将来の志望がみつからない高校時代

 そんなわけで、将来何になりたいかもわからなくなり、兎に角3年間過ぎる事だけ我慢して生きていたようなものです。
 
 受験もどこの学部に行くか、全く思い浮かばず。
 漠然と、「数学科行けばなんかコンピュータっぽいことできるのかな?」とか、当時は建築熱が少し前に起きていたような事もあったので、建築科、建設科でも受けるか程度でした。
 なんだかんだで、現役時代、3・4校くらいしか受験しなかった記憶です。
 親とも成績の関係で、怒鳴りまくられて、部活を1年時に辞めさせられたくらいですから、受験料も自分の小遣いと貯金で受けました。
 
 どこ受けたか記憶ありませんが、共通一次は受験した記憶はあります。
 当時1000点満点。AO入試なんてものは、一部の内申点の良い生徒が受ける推薦みたいなものしかなかったと思います。
 500点いったかいかないかですので、もう二次試験で受かる学校なんてなかったはずです。ですので、やる気もなく、どこかの大学の二次募集を受けにいったはず。

3.地学科が少なすぎ

 そんなわけで、どこも受かるわけなく、浪人に。
 当時、大学は浪人していくものと思ってました。
 現役で行く人は、よほど頭がいいか、推薦で「逃げた人」と言う意識しかありません。ですので、これは今でも思い込んでいる事ですが、高校から推薦で上がってきた人は、よほど出来が悪いか、逃げの人生選択した人だなと思っているので、人事絡んだ時は、どこの企業でもあまり良い審査は、その人にしてません。
 
 浪人時代、あるマイナー予備校に通う事にしました。
 メジャー校は、募集数が決まっているクラスだと、まずは入れないでしょうし、大勢の場所で学ぶと言う事に、無理だなと感じていたからです。
 
 さて、問題なのは、そういうマイナー予備校に地学の講義がないのです。
 仕方なく、地学は代ゼミで受けてました。
 あくまでも、そのマイナー予備校では、数学と化学、国語に力点を置いて通ってました。
 実は、英語だけは、高校時代に英語塾(外大出で講師されていた方の自宅)に通ってましたが、私だけさっぱりで、私以外は現役でそれなりの大学に行ってました(中学から通ってましたが、学校の成績が振るわない生徒は、高校からの通学はお断りされてた塾でした)。
 
 地学に関しては、代ゼミに通う必要はなかったです。
 そのマイナー予備校でも、全国模試を受けられるわけで、地学はある意味独学でしたが、全国で8位ほどの結果をキープできていたほどでしたので、これがきっかけなのか、夏には地学科に進むことを決めたのでした。
 
 しかし、実際調べてみると、地学科が少ない事少ない事。
 後年、地学を知らない先輩社会人がいる事に驚きました(特に就活での企業回りの時)。
 
 当時地学科となると、旧一期校でも数校。二期校でも幾つあったでしょうね。あるいは地学科と称さず、地球科学科とか教育学部に地学コースと言った具合で存在はしてました。秋田大だったかは鉱山学とかだったかな。
 私立となると、日大しかありませんでした。
 
 よって、受験は3校のみ。
 確か、茨大、山形大、日大を受けましたが、全て不合格。
 二浪は認められませんでしたので、二次試験後に受験できる大学となると二次募集か夜学のみ。
 夜学を3,4つ受けて全て受かり、その中で名が通っている偏差値高い学校の経済学部という全く異なる学問をする事になりました。
 当然、ツマラナイ4年間を過ごす事になりましたが、唯一救いだったのは、3・4年時のゼミが楽しかった事くらいです。そんな大学生活を送ってました。
 
 それから、全く地学とは縁のない生活です。

4.地学授業がなく、地理を受けられない

 さて、行く先々で、「地学って何?地理?」と言われる事だらけでした。
 聞いてみたり、調べてみると、地学授業を置いてない高校が相応にあると言う事を知りました。

 「授業科目がない高校ってあるんだ」と。 
 まあ、そもそも都内の進学校ともなれば、受験戦争に勝つための授業しかしてないでしょうから、受験できる学校が減るような科目を置いている学校はないのでしょうしね。
 
 私の高校では、理系クラスに通うと、逆に地理の授業を選択する事ができませんでした。
 社会科目は中学まで好きでしたが、覚える事の多さとつながりがわからない世界史を2年時にうけ、3年時には日本史と決まった流れでして、他の教科もやらねばならずパニックでした。
 
 当時の感覚ですが、地学と地理は別物の印象です。
 私自身、地学の中でも、熱鉱床とか鉱物とかをやりたかったです。 
 天体となると、地学よりは物理学科に軍配が上がっていた気が。まして、そういうのは有名高偏差値校でない限り、受けられないかと。
 気象もありましたが、当時はほぼ気になってませんでした。
 
 対して地理となると、人文と理系とに分かれるとかで、地質と言った「中の話」ではなく、地表上での政治経済や社会的な事柄、あるいは純粋に地図や地形を学ぶものと認識してました。
 
 まあ、それよりも世界史、日本史よりも地理の方が受験しやすくないか?と思っていたくらいです。
 なぜ、地理の授業を理系クラスに行くと受けられなかったのか不思議でした。それを言ってしまえば、公民や倫理といった文系クラスが受けられる授業が、理系クラスでは選択できなかった理不尽さを今でも引きずってます。
 日本史、世界史よりも、地理、公民、現社の方が、共通一次では楽に感じるのですけどね。どうなんでしょうか?。今は知りませんが。。。。

5.後年

 地学を学び直しに行ってもという考えはありましたが、今のように転職が簡単にできる時代ではなく、入りなおすにしても、社会人入試が活発な時代ではなく、地学科にそういう制度がある大学はなかったと思います。
 ですので、結局、その時に置かれた人生状況と今後の飯を食っていく事を考えて、別の道を模索すると言う事は避けてしまいました。
 
 それでも最近は、地学系の本が出ているようで、幾つか買って読んではおります(途中までですが)。

 それよりも、今の高校の授業、数学Aだの数学Bだの、基礎なんとかだのと、全ての科目が、変な分かれ方しているようですね。

#地学がすき

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れいし(ある50代が日々思う事)
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