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街道歩きは人生を豊かにしてくれる

 本記事は、以前の続きになります。

 旧中山道の一部にあたる中津川市の馬籠宿から長野県南木曽町の妻籠宿。

 全長7.7kmの道のりを歩くと、木々の木漏れ日の美しさや風に揺られる葉っぱの音、そして、蘭川(あららぎがわ)から聴こえるせせらぎにとても癒されます。それらの様子は、慌ただしい現代のあり様とは無縁で、現実逃避をするのに最高の運動になるのではないでしょうか。

妻籠宿

 終始、癒されながらの街道歩き。

ここからの眺めが好き

 道中では、綺麗な景色の撮影を楽しみながら歩きます。

枡形

 そして、長野県南木曽町の妻籠宿に到着すると、そこには先人の日本人に今も尚、会うことができるのではないかと錯覚してしまうほどの町並みが広がっているのです。

圧倒された

 しかし、「先人」と書いて「過去の人、以前の人」を意味しているのは、なんだか不思議な気持ちです。今を生きる当方からしたら、既に過去を生きていた人は、先に生きていた人でもあるのだけれども、その過去を生きていた人からしたら、当方は未来を生きる人になっているわけで、それは言いかえると、未来人という意味で「先の人」つまり「先人」になり得ると思うのです。

水車

 水車の回る音と、その際に運ばれる水の音が好きです。

 妻籠宿では、梅の花が咲いていました。

梅ちゃん

 この日は、3月上旬で当方の住む市では梅の花は咲き終えていましたが、南木曽町は、まだまだ寒い日が続いていたのでしょうね。

質素な雰囲気

 質素と表現するとあまりよい意味には聞こえないかもしれませんが、「質素」という言葉の意味について調べてみると「ぜいたくをせず、簡素に生活をすること」なので、質素な暮らしをしていた先人の日本人の生活の中には「侘び寂び」という「美意識」が、いつも一体となって存在していたのでしょうね。

水の綺麗さにも癒される

 妻籠宿では、用水路が張り巡らされており、至る所で水の音が聴こえていました。そして、そこに流れる水が、これまた綺麗なのです。

 聴いて癒され、見て、尚、癒される。

文豪 島崎藤村の自筆

 島崎藤村の名作「夜明け前」。
その夜明け前は、自身の父をモデルに明治維新前後の歴史を、当時の資料をふんだんに使い、個人と社会の動向を重層させて描いた近代日本文学を代表する小説のようです。また、自身が生まれた馬籠宿が舞台となっており、書き出しは「木曾路はすべて山の中にある」という文言から始まります。

 今度、市立図書館に訪れた際に借りようと思います。

 
 今回で馬籠宿から妻籠宿を歩いて3回目となりましたが、何度歩き終えても「また歩きたい!」という気持ちに駆られます。
 旧中山道の街道歩きは、外国人観光客にも人気があるようで、実際に歩いた外国の人たちに「歩いてみて何を感じた?」と、謎の上から目線クエスチョンを発動して感想を伺ってみたいものですね。

 
 旧中山道の街道歩き。

 歩いている道中の景色に癒され、宿場町の風景にも癒され、そしてまた、帰りの道中の景色に癒される。
 自らの足で歩き、馬籠から妻籠、妻籠から馬籠を歩き終えた後の達成感と、馬籠を出発する時の恵那山の「気をつけていってらっしゃい」と、帰ってきた時の「おかえりなさい」という声をかけてもらっているかのような包容力と安心感は、「また必ずここに戻ってきたい」「また歩きたい」と、不思議な体験をする経験となることでしょう。

 是非、皆さんも一度、街道歩きをしてみませんか?

 きっと、何度も「おかわり」をしたくなること間違いない(長井秀和)と思いますよ。(笑)
 
 
 (終)

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