マガジンのカバー画像

サハリン・コンシェルジュ

3
日本最北端の地・宗谷岬から直線で約43km、マラソンと同じ距離に位置するロシア・サハリン島。日本時代は樺太と呼ばれていた。 この島ほど、日ロの政治の思惑に翻弄された場所はないだ…
運営しているクリエイター

記事一覧

樺太鉄道とロシアパン

樺太鉄道とロシアパン

日露戦争最中の1905年(明治38)7月、日本陸軍の樺太遠征軍第13師団は、樺太(現 サハリン)に上陸して占領します。
同年9月5日、ポーツマス条約(日露講和条約)が調印(11月発効)され、
北緯50度線より南側は、正式に日本領となります。

□残留ロシア人日露戦争以前には、北・南樺太合わせて約1万3000人のロシア人流罪人がいたと言われています。
日露戦争後、北緯50度以南に住んでいたロシア人は

もっとみる
サハリン・コンシェルジュ/歴史編 “ゴールデン・カムイの世界“〜#1 ニブヒ族・『民族の名前』

サハリン・コンシェルジュ/歴史編 “ゴールデン・カムイの世界“〜#1 ニブヒ族・『民族の名前』


プロローグ30年以上前のこと。サハリン島北部のノグリキ市にある「ノグリキ郷土博物館」をツアー添乗員として初めて訪れました。その時、ニブヒ族の若者たちが民族衣装を着て出迎えてくれ、彼らの民族衣装に施されている文様がアイヌ民族のものに似ていることを感じました。博物館を訪れてから、私はニブヒ族を含むサハリン島の少数民族の文化、暮らし、そして日本との交流の歴史に興味を持つようになりました。今回は、ニブヒ

もっとみる