雪になりそうな雨の日に
寒くて、雲が頭の上まで降りてくるような朝は、ちいさかった頃を思い出す。
今思えば、気圧や気温にちいさな身体が飲み込まれて辛かったのだろうと思うけど、
とにかくこういうどんよりした日は、掴みどころのない大きな不安に圧倒されがちだった。
学校に行く支度をして、着ていく洋服を選ぶのだけど、
わたし用のこぶりなラタンの洋服箪笥の前で、正座したまますこし動けなくなってしまう。
「お父さんはいつもどおり会社に行くけど、今日は帰ってこない気がする」
「学校から帰ったら、いつものお母さんが今日は倒れているかもしれない」
その時のわたしにとって、「いつも」がきちんと続くことは奇跡に近いものだったのだと思う。
だんだんと「いつも」記録が更新されていって、
その間に身体もすこしずつおおきくなっていって、
気づけば私は毎日学校へ行き、仕事をし、生活できるようになっていった。
今日の天気は、ちいさくて明日がきちんと訪れるか不安になっていた、
そんなあの日と似ている。
わたしたちが何気なく営む、生活が続くということは、
実はとても尊くて、すごいことなんだ。
だからきっとこんな寒い日は、
あたたかいところで少し一息ついて、
仕事はいつもより少しセーブして、
いつもより甘えて、甘やかしても。
ちいさかった自分は、私をなでてくれると思う。
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