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広島平和記念資料館へ|広島ひとり旅②
お好み焼きを食べてお腹パンパンになり、いざ広島市内へ。
乗るバスを間違え、市電の降り方もおぼつかず、
猛暑の中、やっとたどり着いたのは広島平和記念資料館。
入館したのは14時前後だったにもかかわらず、エントランスホールはかなり混みあっていた。外国人旅行者も多い。
常設展示の料金が200円で驚く。
すべて展示を見て回るのに2時間半ほどかかった。
本当はもう少し時間をかけてじっくり見たかったけれど、暑さと人の多さに負けてしまった。
うまく言葉にすることも、まとめることもできないけれど、拙くても感じたことは残しておきたいと思ったので、書く。
残されたものたち
広島平和記念資料館といえば、被爆者の人形のイメージが強かったのだけれど、展示されていなかった。
(2017年のリニューアルの際に撤去されたとのこと)
原爆により傷を負った人の写真、焦土と化した広島の街の残骸、被爆した方々が原爆投下当時を思い出して描いた絵など、様々な展示があったけれど、自分が一番印象に残ったのは原爆で亡くなった方々の遺品だった。
原爆が投下された日の朝は建物疎開が行われており、作業中の10代の子たちがたくさん亡くなっている。
建物疎開については朝ドラの「虎に翼」で触れられていて初めて知った。
衣類の状況から被害の大きさが伝わってくるし、衣類が残っていたり、持ち主が判明しているだけ良い方なのかもしれない。
実際、原爆投下後行方不明となったまま遺骨も見つからず、遺族の方々は手元に残ったカバンや、装飾品などを亡くなった方の遺品として、その後ずっと大切に持っていたというケースも多いようだった。
亡くなった人の写真と名前、遺族の方の語るエピソードと共に遺品がずらりと並ぶ。
ここに展示されている遺品には、亡くなった本人とその遺族、両方の無念さや悲しみ、苦しさが詰まっているのだと感じた。
苦しみはつづく
「N家の崩壊」という一連の写真は、原爆症の父親と子供の話。
戦後20年以上経ち、父親が亡くなるまで、一家は差別と貧困に苦しめられる。同じ戦争や原爆を経験している人でも差別をする側に回ることもある。戦争が終わっても地獄は続く。
井伏鱒二の「黒い雨」を思い出した。
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