「ほよよ?」と覚ゆる折、『草枕』を思ふ。
人の世にまじはりて、あやしきことに行き逢ふたび、ふと『草枕』を思ひいでつるこそ、をかし。
思へば、いかにも世の理(ことわり)は、すべてまことのごとく見ゆれど、いとど定まらぬものなり。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。」とあるごとく、人の心のままならぬは、古(いにしへ)より定まりたることにこそ。
なにごとも、あまり近う見れば、いと苦し。
されば、少し隔てゝ眺め、歌を詠み、絵を描きて、心を慰むるこそ、めでたけれ。
かくて、「ほよよ?」と覚ゆる時は、「あはれ、かくこそあれ。」と微笑(ほほゑ)みぬべし。
「ほよよ?」って思うたびに、『草枕』を思い出す。
人と関わってると、「えっ?」ってなる不思議なことに出くわすことがある。
そんなとき、ふと『草枕』の言葉がよぎるのって、なんだか風情があるなぁって思う。
だって、この世の理(ことわり)って、いかにも「こういうものです!」って顔をしてるけど、
実はぜんぜん定まらないものなんだよね。
「理屈を押し通せば人とぶつかり、感情に流されれば自分を見失う。」
うん、人の心って、昔から思うようにはならないもんなんだなぁって、しみじみする。
何ごとも、あまりにも近くで見すぎると、しんどくなる。
だから、
ちょっと距離をとって眺めたり、詩を詠んだり、絵を描いたりして、
気持ちを落ち着かせるのって、大事だよね。
だから、「ほよよ?」ってなるような出来事に出くわしたら、
「ま、こういうもんか。」って、ふっと笑ってしまうのが一番いいのかも。
"Hoyoyo?" Every time I think that, I remember Kusamakura (The Three-Cornered World).
When dealing with people, there are times when I come across something so unexpected that I can’t help but think, “Wait, what?”
At moments like that, the words from Kusamakura come to mind, and somehow, it feels quite poetic.
After all, the so-called “rules” of this world act as if they’re set in stone, but in reality, they’re anything but fixed.
“If you insist too much on reason, you will clash with others.
If you let emotions guide you, you will lose yourself.”
Yeah, human hearts have never worked the way we wish they would—somehow, that thought feels oddly comforting.
If you look at things too closely, it can get overwhelming.
That’s why sometimes, it’s important to take a step back, read poetry, or paint, and just let yourself breathe.
So when I encounter one of those “Hoyoyo?” moments,
I think the best thing to do is simply smile and say, “Well, I guess that’s just how it is.”
出典:夏目漱石『草枕』
(初出:1906年〈明治39年〉、『新小説』 1月号~4月号に連載、同年5月に春陽堂より単行本として刊行)
本文
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
Approach everything rationally, and you become harsh. Pole along in the stream of emotions, and you will be swept away by the current. Give free rein to your desires, and you become uncomfortably confined. It is not a very agreeable place to live, this world of ours.
(出典:アラン・ターニー訳『The Three-Cornered World』)