見出し画像

今この瞬間に動き出す

私たちは行き詰まっている

「ナンパをしてみたい」とか「株式投資をしてみたい」
とあなたの友人が言っていたとしよう。1ヶ月後、その友人と再会し、彼はすでに行っているだろうか?
ほとんどは何もせず、むしろ精神的には後退している。
「オレは外見も良くないし、おしゃれじゃないし。最近太っちゃったからなぁ。今の状況で声をかけても良い反応なんてもらえないよ。」
「株もやりたいんだけど、嫁が反対してて。今お金もないし。勉強をしなければならないし、まずはお金を貯めて本を買おうかな。」
文章に起こしてみると、ありふれた軟弱な精神が浮かび上がる。結局は行動しない理由を探し出し、いつもと同じ安定を求めるのだ。実際は変化を求めたができなかった点において以前より後退している。ただその友人に限らず、あなたもそして私も同じようなことは頻繁にある。

今動き出さなければ明日はない

なぜ私たちは今この瞬間行動できないのか?

「今動き出さないと将来行き詰まる」という真理を知らないからだ。
それを気づいた瞬間、強い不安が生まれる。不安はやがて怒りに変わり、怒りは行動への強い動機づけになる。
このプロセスが重要である。自分の奥底からの湧き上がる純粋な怒りは現状を適切に直視している。対して、不安から一瞬の安らぎ(安定)を求めると、それは現状から目を背けていることになる。
将来代官山を颯爽と歩く美女と親しくなりたいとする。そのような女性を見かけたとき、まず声をかけなければ速攻行き詰まる。「自分は一生美女と親しくならず、声をかけることすらできない...」と強い不安に駆られる。
今行き詰まっていることに気づいていれば、次に自分に対して怒りが生まれる。そして少し冷静に自分を俯瞰してみれるようになったとき、あなたは美女に声をかけている。
不安とは現実と理想のギャップの大きさに悲観することだ。理想は美女と親しくなること、現実は声もかけることすらできない。
不安は常に付きまとうが
「今の会社、今の交友関係、今の行動範囲や今の思考に留まると幻想の安らぎは得られるが、今の不安は一生消えない。」

日常に少しの変化を

いきつけの定食屋ではいつもの生焼き定食から煮魚定食に変えたり、最適なルートで帰宅するのではなく、馴染みのない駅で降り、心惹かれた路地を通ってみる。本屋に入れば、今まで全くの興味のない科学技術のコーナーに寄ってみる。いつもなら断っていた友人の誘いに乗ってみる。本屋に行けば「すぐに変われる」とか耳あたりのいい言葉が並んでるが、本当に一瞬で変われる。変化ときくと大きいことを想像してしまい、戸惑ってしまう。しかし、小さな変化をたくさんすると考えれば、障害が小さくなる。インドへ行ったら、価値観が一変したという人がいるが、それは異なる環境によって引き起こされたまやかしである。大きな変化は一瞬では起こらない。日本へ帰ると元の生活に戻ってしまう。
今までの延長線上では私たちの将来は行き詰まっているのだから、少しの変化をできるだけ多く、積極的にするべきだ。そしてその変化があなたの理想の将来とズレているなら修正すればいい。変化は現状に明確に刺激を与えてくれるので、現状の正しい認識もできるようになる。

適切なリスクをとり、今動く

コンフォートゾーンから動かなければ、大きな世界で自分がどこに立っているかもわからない。そこから抜け出した時、あなたの表情はいつも以上に豊かになるだろう。心(感情が)大きく動いているから、身体にもその影響が現れる。たくさんの小さな変化で自分の目的地へと舵をとる必要もあり、リスク(将来の不確実性)もある。ただリスクをとらないこともリスクである。時代の潮流は著しく変化し、今の安定は極めて脆弱であるのだ。平凡な人生でいいと言う人がいるが私には自分の根源的な欲求をごまかしているようにしか見えない。平凡な人生とは周囲が作り上げた典型であり、自分の精神が介在していないのだ。
今この瞬間動き出さないと私たちの将来は息詰まることは絶対的に決定している。もう元には戻れない。私たちは今行動しなければならない切実な理由があるのだから。

この記事が参加している募集

私は変態です。変態であるがゆえ偏っています。偏っているため、あなたに不快な思いをさせるかもしれません。しかし、人は誰しも偏りを持っています。すると、あなたも変態と言えます。みんなが変態であると変態ではない人のみが変態となります。そう変態など存在しないのです。