小児科実習まとめ
念願の。ずいぶん前だけど、小児科で実習したのでその感想文です。
院内学級
ひまで、一日やることがほぼなかった日に、先生に朝「院内学級に行ってみたら?」と言われ、まる1日登校した。わたしの大学病院にある院内学級は、近くにある小学校・中学校の「分校」扱いとして、患児たちは「転校」してくる。そうしないと、地元の学校で欠席扱いになって、成績がつかないからだ。先生方も、小学校や中学校からいらっしゃって、いろんな教科を教えてくださる。一方、高校生はあまり小児科にいないし、義務教育ではないので先生はいない。
その日は、午前が国語・算数、午後が音楽・お楽しみ会の4時間授業だった。わたしが小学生のころ使った物語文や説明文をやっていたのが懐かしくてうれしかったし、音楽の先生がわたしにタンバリンを渡してくれて、生徒と一緒に演奏会をしたのもたのしかった。
患児はみんなとても大人だった。点滴がついている子がほとんどで、点滴切れの音が鳴っても動じなかったし、扱い方をちゃんとわかっていて一人でトイレに行けていた。具合が悪ければちゃんと自分の口から言えるし、なにより、部外者であるわたしのことをすぐに受け入れてくれた。
そもそも「心がやさしい」ってどういうことなんだろうって、考えたことがなかったけれど、彼らのことなのかなってすこしおもった。彼らはたいてい明るくて、みんなかわいくて、病気なんて感じさせないくらいのパワフルさを見せてくれる。それでも、抗がん剤の副作用で見た目がすこし変わってしまったり、体調が急に悪くなって休んだりもする。そういうことを乗り越えているからやさしいのかな?「ひとの痛みがわかる」ってすごく便利に使われる言葉だけど、彼らにはそれが当てはまる気もするの。
わたしの同級生はあまり院内学級に行ったことがないようで、わたしはこの1日登校できただけで本当によかったとおもっている。院内学級は彼らのコミュニケーションの場であり、メンバーの入れ替わりの激しい環境だけれども貴重なともだちをつくる機会でもある。正直、授業時間は短く少なくて、体育もないし、ふつうの学校とはちがうけれど、それでも大切な場所なのだ。こういう場所、なくならないでほしいなっておもう。絶対必要だとおもう。
2週間で2人亡くなった話
カンファで二週連続黙祷するとは思わなかった。わたしの班じゃなかったので、回診で会ったことはなくて正直あまり実感はわかなかったのだけれど、治療にあたった医師や看護師、そして家族に囲まれながら病棟を出ていく行列を遠くから眺めたとき、やっぱり悲しいものだなあと思った。
正直、こどもがすきで小児科医になっても、基本的に話すのは「大人」である。実習をまわる前の小児科のイメージと、実臨床がちがうなと感じたこともいくつもある。小児科志望だった人が、それが理由でやめてしまうこともある。
わたしは、こどもの死に耐えられるだろうか。こどもは治癒能力が高くて、未来もあって、かわいくてまもりたくなる存在だけれど、命を失う可能性があるのはまぎれもない事実で、いつかわたしの目の前にいる患者さんのうち誰かはきっと死んでしまう。いまこの瞬間には、まだこの世に生まれてすらいない子かもしれないのに。
それはとても悲しい。悲しいことだけど、わたしにとっての小児科はそれだけで憧れが消えちゃうくらいの存在ではなくて、絶対になりたいっていう存在で、死んじゃう子はいるのかもしれないけど、わたしにとっては、生きようとしているこどもと、それを支える家族や医療者の姿はうつくしいっておもうし、尊いっておもうんだよなあ。
これはちょっと本音
小児科を目指す人のうち、こどもがすきだからっていう人はそれなりにいるんだけど、実際実習してみておもったのは「話すのはたいてい親じゃん」ということである。あたりまえだけど、冷静に考えたら自分もそうだった。
うちの大学病院は両親だったり祖父母だったり、家族が一緒に泊まっているこどもがほとんどなのだけど、わたしの受け持ち患児は、兄弟がいる関係でお母さんがたまに昼間に来て、夜はお家に帰っていた。だからこそ、昼間に交わされる親子のコミュニケーションは大事なんだろうなとおもっていて、患児のスペースの前にあるカーテンの前で耳を澄ますことが多かった。
声がしても、「ご飯食べた?」「うんち出た?」「お腹いたい?」などと聞く必要があるため、カーテンを開けざるをえないんだけど、お母さんがいらっしゃるから聞きにくいとか話しにくいというのはないんだけど、やっぱり家族の時間を邪魔している感じがして、患児が一人だけの時よりあまり話しかけられなかったのは残念だったし、でも患者の状態を把握するために話に行くのは大事なことなのでもっとちゃんとできたかもしれないとおもう。つぎに繋げよう~
食物負荷試験
小児科のどの分野に行きたいの?とよく聞かれるけど、最近興味があるのはアレルギーとか膠原病の類だ。それを扱う班に所属させてもらって2週間過ごしたんだけど、その中で外来に行って食物負荷試験につかせてもらったのは結構たのしかった。
わたし自身はネコとハウスダストのアレルギーしかないんだけど、周りには食物アレルギーを持っている子が何人もいるのを知っている。牛乳、鶏卵、小麦粉が多いんだけど、あとはナッツも増えているらしい?たぶん。それでも、食べれないものが多いのは困ることなので、食物負荷試験というのをやって、食べられる量やものを増やしていく。この2週間では、うどん(小麦)とゆで卵(鶏卵)をすりつぶして食べさせるのを手伝った。
わたしが外来にいた日は幸いにも体調が悪くなる子はいなくて、彼らはそれぞれ、食べてもよい量が増えた。おめでとう。けど、やっぱり食後にかゆくなっちゃったり腹痛を起こしたりで、増やせない子もいるんだよね。
わたしはご飯を食べることがだいすきだから、世の中の子がひとりでもおいしくご飯を食べられたらいいのになっておもう。
採血
とにかくぎゃん泣き。わたしの知ってる「号泣」を超えている。子育てを経験している人は聞いたことあるのかもなあと思った。小児科医はとにかく子供に嫌われる。わたしたちの姿を見た瞬間泣きだす子もいるし、処置室の目の前で足がすくんで動けなくなる子もいる。病気を治してほしくて病院に来るのなんて、少なくとも小学生以降だ。すきな相手に良かれとおもってやったことが原因で嫌われるなんて悲しすぎる。それでも子供の未来を願える人だったり、子どもを嫌いにならない人が向いてるのかもなあ。なんなら全力で拒否しようとする子供たちはおもしろい。
1歳児を抱えさせてもらったこと
わたしが医師を目指した理由の妹と同じ病気にかかっている子がいて、その子が処置室で採血し終わった後、先生が抱えさせてくれた。わたしは先生方と同じような格好をしているので、赤ちゃんはわたしの顔を見て泣いていたけれど、両脇に腕を入れて持ち上げ、おしりと背中をしっかり支えてあげると、むしろ落ちまいとわたしの肩あたりをぎゅっとつかんだ。わたしは1歳児を抱えたのがたぶんはじめてで、その感覚がとても不思議でかわいいと思った。
10kg近くある子供を抱きかかえるのはわたしには結構大変で、お母さんたちってすごいなあって心の底からおもった。わたしの肩をぎゅっとつかむのは、彼らがそうしなければ、生きていけないからだ。その手が頼りないっておもったけど、頼られてるっていう責任感を感じたし、世の中のお父さんお母さんってほんとうにすごい。こんなに小さなこどもをまもってるんだもんな。本当に、すごいよ。わたしの両親も、ここまで、24歳になるまで育ててくれて本当にありがとうっておもう。あともう少しだけ、お世話になります。
不登校のこどもへの対応
小児精神の講義の時間がすこしだけあって、「もし自分の外来に不登校の子が来たらなんと声をかけてあげるか」というようなテーマでロールプレイをした。
むずかしいね。答えはないもんね。でも、わたしならこう言うかなっていうことを、同級生は言わない。それぞれの経験をもとに、それぞれの言葉で、架空の「その子」にかけてあげてた。それでいいんだなっておもった。だって、本当に正解はなくて、「その子」にはどんな言葉がささるかなんて話しながら見つけていくしかないもんね。わからないもんね。
でも、先生の、腹痛とか頭痛とか対症療法になるものがあった場合、お薬を出すことで、定期的に会いに来てくれるきっかけづくりをするっていう考えには、ほおと思った。そういう考え方もあるのね。わたしは薬が終われば治る!という病気しか経験したことなかったけど、お薬がつづくような人もいるもんね。それだけがすべてじゃないとおもうけど、考え方がひとつ増えたのはよかったなとおもう。
これで満足じゃない気もするけど、もう、とりあえず投稿しないと一生小児科実習について書けない気がするので投稿する。未来のわたしへ。書き換えたくなったら追記していってね。