橙色の言葉
なんかまるで呪われてるみたいだね。
何気なく投げられた言葉で全てが崩れるかと思った。私が大切にしているもの。経った時間で大切さが摩耗することなく、輝き続ける言葉や想い。それを大切にし続けていることはそんなに不自然なことなのだろうか。
あの人が願ってくれた夢を大切に撫でる。私がいて、あの人がいて、それに続く人たちがいて。絶対に叶わないけれど、まるでもう既にあったことのように感じるほど具体的な夢。せめてその夢を壊さないように、現実では全く別の遠くの道を選んだ。現実や時間が大切な夢を侵食しないように。だって、何よりも大切だから。でも、そうすることは、呪われているということなのだろうか。私の気持ちはこんなに自由なのに、夢に縛られている、ということなのだろうか。
大切にすることと、執着して縛られることの境目がわからない。言い訳のようにしか聞こえないであろう自分の言葉の弱さに涙が出る。
「ほら、深呼吸してください。一回落ち着きましょう」
肩に感じたてのひらの温かさも、私を宥める時のどこか少し優越感の混ざった頼もしい声も、私にとっては今歩いているこの道くらい確かな手応えがあって。
「本当に俺がいないとなーんにもできないですよね」
思わず微かに頷いた自分への不安で一瞬足元が揺らいだ。わかっている、前に言われた言葉が頭の中で響いているだけだって。でも、手応えとしては今受け取った言葉でしかなくて。頭の中で響いている声に、実際に頷くことは確かにおかしなことなのかもしれない。
「呪いって字って、祝いと似てますよね」
似てるけどそれが何。頭の中でイライラとしながら応える。自分の中でこんなにイライラとするなんてどうかしていると思いつつも、あの人のまるでお見通しみたいな余裕な口調に苛立ちが募る。思わず歩くペースも早くなり、大きな歩幅でズンズンと進む。
「口偏と示偏の違いって、なんとなくの印象ですけど、人と神様の違いな感じしません?」
なんか、分かるような分からないような。呪いと祝い。確かに、左側を隠すとどちらが出てくるか分からなくなるけれど。だったらなんだっていうのよ。頭の中の口調がどんどん刺々しいものになる。だって絶対、私のことテキトーに誤魔化そうとしている。いつもいつもそうだ。私だけが感情的になって、この人はいつも冷静ぶっている。
「トーコさんにとっての今の俺って神様みたいなもんじゃないですか。」
はぁ?!と思わず実際にも苛立ちの籠ったため息がでる。神様。何様よ。この世からいなくなったら誰でも神様になれるとでも?そんな甘くないんじゃないの?随分、ご立派な転職をされたんですね!置いてかれたこっちの都合も考えずに!もう現実には何年も発したことのない声のトーンと口調で思いっきり文句を言う。私がどれだけ怒っても、全く気にしていない相手の素振りにさらに腹が立ってくる。
「まあまあ、そんな嬉しそうに怒らないで。」
頭の中でも絶句することってあるのね。あまりの言葉に頭の中が真っ白になる。どこが嬉しそうだっていうのよ、本当に信じられない。
「嘘つかないでくださいよ、嬉しいって考えればわかるでしょ。」
いつもこうだ。私が泣こうが喚こうが怒ろうが笑おうが、この人はいつも軽やかに受け止める。頭の中で響く声ですら、私にとっては圧倒的に説得力があって、認めざるを得ない。そう、たしかに、会話のゴールを想定せずに感情のまま言葉を伝えるのが怖くないのは、私にとってはこの人だけだ。だから、怒りだろうと悲しみだろうと喜びだろうと、それをそのまま言葉にできる嬉しさに心がほぐれる。自分の弱さに涙が滲む。ああ、私今どこを歩いているんだっけ?外側より、内側の方がリアリティがあって体が揺らぐ。たしかに、私は自分の気持ちに囚われて呪われているのかもしれない。
「大丈夫ですよ。だって、トーコさんにとって、今の俺って神様みたいなものなんですから」
肩に感じる掌に力がこもる。その温かさと重みを頼りに、足が地面をきちんと捉え、気持ち悪くなるような浮遊感がすっと溶けていく。
「俺だったらどう言うかな。こんなことして失望されないかな。こうしたら喜んでもらえるかな。」
いつも俺の事ばかりだ。笑いながらそう言う彼の声は諦めと嬉しさが混ざっていて。私は喜んでもらえていることが単純に嬉しくて、先程までなにが不安で何に苛立っていたのかが遠ざかっていくのを感じた。足の裏から感じる地面のでこぼこを楽しみながら足取り軽く歩く。確かにね、笑顔ひとつでこんなに救われた気持ちになるなんて、あなたは私の神様なのかもしれない。我が意を得たりと言わんばかりに頷きながら、彼は手を伸ばしてくる。
「俺の言葉に呪われてるかも、って落ち込んでたみたいですけど。神様は、信じるものを呪ったりしないんですよ。」
内緒話のように声をひそめた彼の声が頭の中に響く。
「神様の言葉に縛られたなら、それは呪いじゃなくて祝いですよ。祝福です。」
ここ数年抱えていた鬱屈とした気持ちがパッと散り、急に頭の中の彼の表情がクリアに見えるようになる。ああ、そうか。そうだったんだ。
「誰が何と言おうと、俺らがお互いを呪ったりできるわけないでしょう。」
誇らしそうに言う彼の笑顔に誘われるように頷いて、微笑む。唐突な笑顔を隠そうと俯くと、つま先の少し先には横断歩道。耳の中に外の音が蘇る。騒がしい車の音。車道手前のギリギリの位置で顔を上げると、前方に赤く光る信号が見えた。ああ、また立ち止まれてしまった。車の音よりリアルに彼の声が頭の中に響く。
「ほらね、俺の言葉で助かっちゃったでしょう。」
そう言うと彼は得意気に鼻歌を歌い始める。頭の中に響く大好きな曲。信号が青に変わるのを大人しく待ちながら、苦笑する。たしかに私は、私の神様に祝福されているのかもしれない。認めてしまえばなんてことはない。次に踏み出す1歩の手応えを想像しながら、夕陽を受けて橙色に光る赤信号を見守った。
BGM : 松尾太陽「橙」
大好きな1曲をBGMにしながら、想いを込めて作った拙い物語です。