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看護観の変化から大学病院を辞めた話

約半年前に大学病院を辞めた。

理由は、自分の看護感の変化だった。

元々私はヒーロー的存在になるのが夢だった。頭的に医師になるのは難しいと思っていた私は、看護師になってみんなから、本当にみんなから注目を浴びて「かっこいい」「あんな人になりたい」と思ってもらえるようなそんな看護師になりたいと思っていた。テレビに出てくる救急救命科のドクターのように悩み、時に自分をも差し置いて人の命を助ける、そんなドクターのような看護師になりたいと。

大学病院では1年間一般病棟を経て、CCUへ異動した。理由はかっこいいと思ったから。十数人で構成されたその小さな病棟は、誰もがいける場所ではないことを知っていたから。えんじ色のスクラブを着ているヒーローのような人たちを一般病棟にいた頃から羨ましいの塊の目で見ていた。

晴れて、2年目から同期もいない、知り合いは一緒に配属になった先輩一人のみの16人で構成された病棟に所属することに。
嬉しかった。病院内をえんじ色のスクラブで歩けることが本当に嬉しかった。毎日、ウキウキして過ごした。
仕事はほぼ毎日残業で、緊急オペに入ることもあるし、勤務者全員が寝られない夜を過ごしたり、毎日赤ペン先生されたり(このおかげで記録は上手になりました)、人工呼吸器とIABPとPCPSとCHDFとインペラで機器だらけの壮絶な受け持ちを何度もしたり、、、。

数々の経験の中で、看護間の変化がやってくる。
もっと自分のやりたい看護が出てきた。やらされる看護ではなく、自分が正しいと思い実践する看護。患者の思いを汲み取り、実現させる看護。制限ばかりではなく、制限をぎりぎり超えない、または超えてもいいからやりたいと思うことを叶えることができる看護。

「あなたがいるから、私は自分が思うように生きることができたのよ」と言われるような看護。

今年の春から外に出て、在宅という新しい道に進んだ。たった3年しか経験していないけれど、病院を辞めた。でも、3年で十分に自分が夢としていたかっこいい看護師は叶えることができた。今でも病院時代の自分はよく頑張ったなと褒められるくらいに立ち向かっていた、いろんなものに。

そろそろ在宅に出て感じたことを挙げていこう。

私の会社でとにかく尊敬できる上司が二人いる。解決までのスピードが異常なまでに早く、趣味が多彩で、毎日楽しそうに働いているAさん。そのAさんを尊敬していて、判断力があり、よく気がつきすぐに行動する、ポジティブなBさん。

二人ともとにかく毎日楽しそうで、利用者さんの心地よい状態について常に思考をめぐらせている。私がやりたいと思っていた看護をできる場所、尊敬できる先輩に出会い、毎日悔しいと思えるとてもいい環境、成長できる場所。

それはもう毎日毎日、感じたくない日でも毎日刺激をもらえる職場。

Aさんのブログに綴られる生活を欠かさず、なんなら私が入社する前の投稿も遡って読んでいるが、いつもいつも背中を押される。

もっと頭を柔らかくして考える、いい意味で予想を裏切るようなとんちの効いた行動を、とにかく利用者の心地よいを追求する姿勢にいつも胸を打たれている。

今の夢は私がそのブログに載ること。あの子がこんなアイディアを出してきたとか、あの子は変な子だとか、、、正直なんでもいい。

載れるようになるには、もっとお互いを知る必要がある。まずは緊張せずに話せること。私を知ってもらうこと。

少しでも二人の先輩のように心地よさを作り出せる看護師になるべく、毎日奮闘しよう!


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