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倒れたままでいること
倒れたままでいること
誰よりも
落ち込み、
誰よりも
弱音をはき、
誰よりも
前に進もうと
しなかった
人間の言葉
とあるカフカの書の、装丁の帯に記された言葉だ。
確かに、カフカという男は生前、いかなる問題に対しても挫け、何一つ成功したためしがない。
作家としては無名のまま
父親との確執も放擲
いやな勤めから転職もぜず
結婚もあきらめ
死に至った結核だけを唯一の救いとしたようだ。
まさしく、
ネガティブのチャンピオンなのだ。
もう一つ、帯には次の言葉がある。
いちばんうまくできるのは、
倒れたままでいることです──カフカ
ぼくは昔、「転んでもただでは起きない」…という言葉を「転んだら、そのまま起きて」…ともじって、周囲を笑わせたことがあった。
しかし、カフカはその上をいっているのだ。
倒れたままでいること。
僕はふと、サッカーの中田英寿の、ワールドカップでの最後を思い出した。彼がピッチに寝転んだまま、いつまでたっても起き上がろうとしなかった、あの瞬間のことだ。
倒れたままでいること。
本当は一番、自らの内面が見通せる姿勢なのかもしれないのだ。
カフカを通読して、今更ながら、僕にもカフカ的要素が色濃いことが認められた。
そう。挫折からの立ち直りとは、言ってみれば社会的存在としての自意識のなせるわざではないのか?
道ばたで転んだ幼子が、泣いたきりなかなか起き上がらないのに母親がいら立つシーンを時に見かける。
たぶん、こう言いたいのだろう。
「みっともないでしょ! みんなが見てるんだから!」…と
まさに、世間でもて囃されるところの、通俗的な掛け声なのだ。
立つんだ! ジョー!
ところが、カフカにそんな呪文は通じない。
倒れている方が、世界は見えるものだと無意識に悟っていたのかも知れない。
もちろん、カフカの見ていた世界とは、一般人の言うところの、願望としての「夢」ではなかったはずだ。
スターや大金持ちといった、ちっぽけな終点ではなかったのだろう。
カフカが自らの内側に見ていた世界は、とてつもなく広く、深く、決して到達点を見通すことのできない、無限のフロンティアだったように僕には思えるのだ。
ほとんどが未完の数少ない長編と、まともに評価もされなかった短編、それに自虐的ともいえる断片の作家が、ドフトエフスキーと併称される理由もそこにあるのだろう。
本当のフロンティアを目指す冒険家とは、実はランボーのようなマッチョでも、バルザックのような自信家でもない。
そう。
観客のいなくなったリングにひっそりと横たわった、青あざだられの無名のボクサーなのかも知れないのだ。
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