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線香花火のような
死にたいと言う人ほどそんな簡単に死なないと思っている。偏見だけど。根拠は私。サンプル1。
中学生くらいから、線香花火のような希死念慮が胸の中で小さく、でも確かに存在していた。時々その火花が見えなくなるけど、確実に燃え続けていて、何かのタイミングで火花が大きくなってすべてを持っていかれそうになる。悩んでいる時は些細なことが些細に思えなくて、自分の生活の全てを支配している。何をしていても忘れられなくて、こんなにつらい思いをするくらいなら死んでしまった方がマシだと思ってしまう。私の場合、喉元過ぎれば熱さを忘れるというのもその通りで、過ぎてしまえば全部「たいしたことない過去」になることも知っている。でもしんどい時って時計の針が0.5倍速くらいになっているからなかなか時間も過ぎてくれない。
人生は楽しいことばかりではないのだ、つらいことだってある、そうだよね。そんな小さなことで悩んで死にたいだなんて馬鹿らしい、わかっているよ、でも私にとってはこれが世界の全てのように思えて仕方ないんだ。生きてればいいことあるよ、知ってるよ、でも今は顔を上げる気にもなれないんだ、顔を上げて、自分の道がそんなに暗くないことを確認することすらできないんだ。
たぶん私は線香花火を持ち続けるんだろうな、皮肉だけど、燃え尽きる時、私は死ぬのだろうな。
手放す方法が思いつかないわけではない。
自分よりも大切な存在ができたら変わるんじゃないかと密かに思っている。でもそんな理由でこの世に召喚される子供は幸せなのだろうかと思ったり。彼氏は大好きだ、でも彼は私がいなくても生きていけるんだろうな、独立自尊を絵に描いたような恋人を見て思う。
衣食住にも困ってなくて、帰る家もある、恵まれている私の悩みはおそらく贅沢なものなんだろう。こんなことでしんどいなんて言っていられないのはわかっているけど。くだらないと言われるのが怖くてここにも書けないけど。
オチはないです。
今年社会人になった友人たちが体を病んだり心を病んだりしてお休みをしているという話を聞いて、他人事では無いように思えてしまった、同窓会の帰り道の下書き。