自閉傾向にある子と「でもね・・・」が苦手な関係
自閉症スペクトラム症の児童に見られやすいのですが、その子の言い分に対して「でもそれは・・・」と続けてもなかなか納得が得られないときがあります。
言い方によってはかえって機嫌を悪くしてしまったり癇癪をおこしてしまうこともしばしば。
支援の方法として「でも・・・」を使わないということはよく言われますし、実際「でも」を使用しないだけでコミュニケーションが円滑にいくことも良くあります。
なぜ「でも・・・」という返され方が通用しないのでしょうか。
これを「考え方のクセ」という点から解釈してみようと思います。
私たちは何かを考えるにあたって「順行的な考え方」と「逆行的な考え方」を用います。演繹と帰納であり、計画を立てるときに順立てと逆算ですね。
基本的には順行的な考え方があり、その後可逆性を学習すると同時に逆行的な考え方もトレーニングされていくのですが、この逆行性の獲得に苦労している場合に「でも・・・」に対応できなくなるのではないかと考えられます。
「でも・・・」という切り返しには否定の意味も含まれているので、「自分の主張が否定された!自分がダメなんだ!」と、全体的な判断に帰結することで苦手意識を持つケースもありますが、中には本当に「でもって言われても(自分なりの)順序で考えるとこれが正しいはずだ!」という、独自の論理から逸脱できないケースもあるのです。
ですが決して納得できないのではありません。納得するためには彼らの論理筋にのせる形で話をする必要があります。
私たちが「でも・・・」を使う多くの理由は
①気が乗らない
➁常識的でありたい(常識から考えて)
➂自分の主張を通したい(反論)
があげられます。これは当然私にも当てはまることで、私自身日常会話で「でも・・・」を使うことが多くあります。
企業のブレストなどでは「相手の話を否定しない。」というルールから「でも・・・」を使わないようにすることがありますね。
よく言われるのは建設的に話し合いが進むから、などがありますが、実際「でも・・・」は意見の否定と共に自分の論理展開が始まる合図のようにも聞こえます。
つまり、それまでの話者の文脈とは異なる文脈が始まるので、もともと他者の文脈を理解しづらい彼らにとって「でも・・・」という否定はとても混乱をもたらしやすいのです。
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