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【私の人生で一番長い日】2001年9月11日

皆さんこんにちは。留学コンサルタントのマサです。

今世界はコロナウイルスと戦っています。毎日増えていく感染者そして死者数。仕事を失い、明日に希望の持てなくなった人々。世界中は悲しみに包まれています。

今、私は留学をテーマに毎日ブログを書いています。留学は日本を救うというテーマでブログを始めました。ただ、沢山の留学生は学校も閉鎖になり母国に帰国。次の学期には無事にアメリカに戻り、楽しい留学生活をまた過ごせるように願いを込めて、私の1度目のパンデミック体験談について話します。私たちの住んでいる地球は人災や天災が各地で起きます。そして時が過ぎれば、また普通通りの生活をすることができます。時間はかかりますがまた平和な日々は必ずやって来ると信じてます。

September 11th, 2001- A Day I Will Never Forget. 

2001年9月8日、友人と夕食で貿易ビル周辺のトライベッカ地区へ。ご飯を食べたり、お酒を飲んだりと楽しい夜を過ごしました。ニューヨークの観光名所でもある、貿易センタービル「ツインタワー」数日後にこのビルが崩壊するとはこの時まだ想像もしていませんでした。

2001年9月11日、いつもと変わらぬ朝。朝起きて、簡単に朝食を済ませ。9時からの大学の講義に間に合う様に8時に家を出発しました。マンハッタンのアッパーイーストサイドという場所に当時住んでました。セントラルパーク近くの立地で、マンハッタンで仕事をしている人のベッドタウンです。早朝の出勤、通学ラッシュは毎日ヘトヘトでした。まだまだ夏の様な陽気で、T-shirts一枚で快適に暮らせる気候でした。通学はバスに乗り継ぎ、電車の駅まで行きます。その後電車で15分ほどで学校に到着です。

運良くバスの席を確保。駅までの約20分はいつものお気に入りの音楽と雑誌。86番通りを東にセントラルパークを横断しながら、通学の一時を楽しんでました。

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これから起きる地獄のようなことはまだ知る由もなく。

8時25分、86番通り と7番街の地下鉄の駅に到着。ホームから赤の1番と9番の南側行きの電車に乗り換えました。朝なので電車では座る場所はなく立って乗車。しばらくすると中心街の57番通りや42番通り「タイムズスクエア」を過ぎる頃には電車はほぼ満席です。次は34番通り、私の目的地です。到着する少し手前で電車が突然止まりました。

8時45分、ニューヨークの電車は良く一時停車をします。乗客が多い駅など電車が混雑してしまい、通常は数分で動き始めますが、その日は10分たっても動きませんでした。

9時になった頃、電車の中で人々が文句を言い始めました。イヤホンで音楽を聞いていたので、ほとんど文句は聞こえてないです。

9時20分頃には電車内で人々が叫んだり怒ったり。私も状況が何時もと違うと思い、イヤホンを取り外して、近くの人に話を聞いたりしましたが、誰も外で何が起きているのかはわからないままでした。

数分後に電車のドアが開きました。同時に車内放送で、電車が全てストップしたので外に出るように言われました。電車は駅にまだ着いていません。電車から外に脱出し電車と壁の間を全員の乗客が2列で歩き始めました。距離は1kmほどの距離ですが、人の多さで前に進むのにすごく時間がかかりました。

駅に着き、外に出れたのは9:40が過ぎていました。やっと駅から出る事ができ、学校までの道を全速力。学校に着いた時には9:50。汗だくのままクラスに向かいました。すでに授業が始まって約1時間過ぎているにも関わらず、クラスには私を含め数人しかいなかったです。

私「何で誰もいないの?」

友人「マサは知らないの?貿易ビルが火事で電車止まってるんだよ」

それから約10分後、スーツを着たおじさんがクラスに来ました。今日は学校クローズだから帰りなさいと言われました。私たちはラッキーと言いながら、学校を出ました。そして、今までに感じたことのない異臭を感じました

学校の入り口で別の友達に会い、

私「貿易ビルで事故で電車止まったから。学校クローズだって」

友人A「違うよ。テロ。貿易ビルに飛行機が突っ込んだよ」

友人B「まだ上空には沢山のハイジャックされた飛行機が飛んでいるんだって」

The Longest Day of my life. 私の人生で一番長い日

私の通っていた学校は7番街に面してます。いつもなら授業中の時間に私たちは学校から追い出されるように外に出てきました。学校からは貿易ビルのツインタワーが見える距離です。私は急いで7番街まで行き、南側を見ると確かにツインタワーのある方角は煙で真っ白になっていました。

そして、多くの人が南側から歩いて来ていました。学校のクラスメートと会い、詳細を聞きました。彼女はツインタワーの近くで朝からインターンシップ、しかし会社が閉鎖になり歩いて学校に戻ってきた所でした。

友人「沢山の人が亡くなってる。事故なのか?テロなのか?わからないけど地獄みたいだった」

興奮していたのか恐怖からか、まともに話せる状態ではなかったです。僕たちは何が起きてるのか、はっきりとはわからず。確かめるために、友人たちと南に歩いて向かうことにしました。

7番街を南に歩いて行き、途中で体が埃だらけの人や、泣いている人などたたくさんの人とすれ違いました。
この時代にはまだスマホはありません。携帯電話はありますが電話をかけるのみです。情報の無い私たちは、途中で街灯のテレビを見て立ちすくしました。

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This is a war - 戦争の始まり。

街頭テレビの前では沢山の人が涙を流しながらニュースを見ていました。すでに貿易ビルは2棟とも崩れ。沢山の人が亡くなっていると報道していました。恐怖のあまり震えていた事を今でもはっきりと覚えています。そしてこの出来事が今いる場所から南に40分ほど行った場所、全く信じることができませんでした。
そして他2機も同時ハイジャックされ、ワシントンDCのペンタゴンやキャンプデビット近くに墜落したと速報もやっていました。携帯電話で友達へ安否確認、しかし回線はパンク状態です。公衆電話は長蛇の列だったので諦めました。私たちはやっぱり何が今起きているのか、知りたいので南に向いて早足で歩き始めました。14番通り・ユニオンパークに到着しました。

天候はからっとした秋晴れ。普段なら公園などでみんなが過ごしているような日です。しかし、今日は誰もいない。家路に急ぐ人ばかりです。そして、さっきとは比べ物にならない程の強烈な異臭。ビルが燃えていると同時に人が燃える臭いかと思うと、背筋がぞっとしました。

14番通りを越えてまもなくすると、警察が道を封鎖していました。これ以上南には住んでいる人以外は立ち入り禁止と追い返されました。公園で少し休憩をして、学校の方に戻ることにしました。休憩中には、沢山の警察官、パトカー、そして戦車をみました。そして上空にもアメリカ軍の飛行機なども飛んでいました。今から何が始まるのか、そして何が今起きているのか

混乱のニューヨークで私たちは北に向いて歩き始めました。電車はすでに止まっているので家まで歩いて帰る決心をしました。それから約3時間休憩しながらひたすら北に向いて歩いてようやく帰宅しました。

すでに夕方5時。TVで情報収集をスタート、やっと事件の詳細が見え始めました。ただ、アメリカ自体もまだ完璧に把握できている訳ではなくこの悲劇の詳細を流していました。夜には日本の家族や友人と話し、日本の方が詳細を知っていることにびっくりしながら。テロ、テロリスト、報復などの言葉をインプットしました。この日のニューヨークは夜もまだまだ静かにならず、お店も開いているところも結構ありました。僕は友人と一緒にマクドナルドを食べに行きお互い今日の出来事を話し合ったり、今後どうなるとか明け方まで話していました

恐怖や興奮のあまりほとんど寝ることできなく、次の日も電車は動かないので、自宅待機をしました。

人生初の「殺されるという恐怖」テロリストの戦い。約3000人の死者、そして6000人の負傷者。学校再開してからも何度も学校で爆弾テロ予告や電車爆破テロ予告。日々緊張した状態が数ヶ月続きました。うつ病などになる人が沢山いたようです。そしてこの環境に耐えれない沢山の留学生も帰国していきました。しばらくの間はニューヨークは悲しみに包まれた暗い街でした。

今でも良く覚えています、9月12日以降のニューヨークはこの悲劇を乗り越えようとする人が少しずつ増えていき、アメリカ国旗を持った人、アメリカ国旗を刺繍した服や帽子を着用する人。団結したアメリカを感じました。私も国旗の刺繍が入った靴やT-shirtsなど着用し、アメリカに残ろうと強く決心をしました。

2001年のクリスマスには教会に行き、亡くなった人へお祈りをして。2002年を迎える事になりました。

そして今年、2020年ウイルスとの戦い。パンデミックそしてロックダウン。あれから19年が経ちました。私の第2の故郷ニューヨークはロックダウン。ウイルス感染者2ヶ月たった今も毎日増え続けています。そしてカリフォルニアでも感染者はまだまだ日々増加中です。

テロとは違う恐怖。でもまた時間が経てばきっと普通になるだろうと願うばかり。今は自分のできる事。感染しない為の自己管理。ウイルスは特にご年配方がかかるのは危険なので最低限の外出にしています。

God Bless Everyone = 皆様のご無事をお祈りしています。

今回は留学のテーマではなく。私の体験談を話しました。あのテロからでもニューヨークは復活しました。今回のパンデミックもきっと復活できると思ってます。また、留学生の皆さんが戻って、楽しい日々が続いて欲しいと願っています。今日は私のもう1度行きたい場所=ニューヨークの19年前のある日の出来事をテーマにした話しでした。有難うございました。

沢山のテロの本を読みました。その中でこの本はとても衝撃的な内容でした。主人公ベア。この時の捜索で体調を崩し1年後に亡くなってしまいました。捜索中に有毒ガスを吸い込み過ぎた事がおそらく原因で沢山の癌が体にできてしまったようです。ベアだけではありません、約350頭の救助犬が人命の為に働いたのです。忘れてはいけない真実だと思います。

本日の名言は、

New York is a passionate city. They want a winner. They reserve a winner. I think we did an outstanding of bringing it back by Patrick Ewing.

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ニューヨークは情熱の街だ。ニューヨーカーは勝者を求めそして勝つ権利をつねに持っている。だから僕たちは素晴らしい勝利を手に入れる事ができたんだ。

元ニューヨークニックス パトリック・ユーイング氏のお言葉です。
先日のニュースで彼は今病院でコロナウイルスと戦っています。何とか無事に復活する事を心から願っています

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