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木の文化と石の文化

#わたしの旅行記
#イタリア  

1 イタリアへ

 長年の職業生活を終え引き続きではあるが、非常勤嘱託としての生活に入り、時間的に余裕ができた2018年に初めてのヨーロッパ旅行を体験した。今思い返せば、コロナ禍が2019年末から世界中を覆い尽くしたので、私たちの旅行はコロナウィルスを知ることもなく幸いであった。私、妻、娘との家族三人で相談して旅行先はイタリアを選んだ。個人的には日本の木の建築物や仏像など「木の文化」に対し、ヨーロッパの石の建築物や彫刻など「石の文化」に触れたいという気持ちもあった。

 愛犬をペットホテルに預けての旅であり、そう長く家を空けることも出来ないが思い切ってのヨーロッパ旅行である。福岡から上海経由で広い国土のロシア上空(今はロシアのウクライナ侵略で飛行できないが)を飛び、長い長い13時間の飛行機の旅でローマのフィウミチーノ国際空港に到着した。

 村上春樹の小説「ノルウェーの森」のようにランディングした飛行機からBGMが流れることはなかった。もし音楽が流れるとしたらカンツォーネか。しかし、ここはナポリではなくローマだから音楽も違ってくるのかな、などイタリアに着いたのだと思いを巡らしながら、空港内を出口に向かって歩いていく。長旅で家族にも少々疲れの様子が見て取れる。
 11月末の午後6時過ぎで空港内の照明があるだけで、すでに周辺は夜の帳が降りるのを待つだけとなっていた。入国手続を終えて、空港内の建物に移動すると微かに香水の香り。フランスが本場ではあるがイタリアも香水である。意識すると微かに香る気がするが気のせいかも。

2 ローマの休日を思わせるスクーター


 空港からは迎えの大型バスに乗り換えてホテルへ。
 一泊目はこじんまりとしたホテルである。玄関ロビー口に映画「ローマの休日」を思わせるスクーターがおいてあるのはご愛嬌だ。オードリー・ヘップバーンが演じた清楚なアン王女が思い出された。グレゴリー・ペック演じるアメリカ人記者がスクーターにアン王女を乗せ、二人乗りでローマ市内を案内して回るのだが・・・自分の中で色あせない白黒映画の一つである。
 
 夕食が終わって、トランクの整理をしてシャワーを浴びたら、長旅の疲れが出て、翌日に備え早めの就寝となる。

ローマ市内 1泊目ホテル 玄関口に映画「ローマの休日」を思わせるスクーターが置いてあった

3 それでも地球は動いている

 2日目はいよいよ観光コース。ローマからピサへのルートとなる。距離にして約265㌖、途中の休憩はあるがバスの所要時間4時間を超え、移動は結構な距離である。途中の車窓からは、オリーブ畑が延々と続いていた。地中海地域に広く栽培されている植物である。言わずと知れた、実が食用油として世界中で使われている。

 ピサに着く。大聖堂、洗礼堂、斜塔が手入れの行き届いた芝の上に大理石の白さを際立たせながら綺麗に配置されている。近くで見るとやはり斜塔の傾きは結構大きいし高さも約56㍍あり、傾きも手伝って想像していた以上の存在感で重々しく感じられる。12世紀の建設当時から傾き、地盤の弱さで計画の半分の高さになったらしい。日本の鎌倉時代に大理石で100㍍の塔を建てようとした技術力に驚く。技術者が時代を作るのだろう。しかし、斜塔になったために世界でも最も有名な塔になったことも間違いではなかろう。

 かつてガリレオの異端審問について、ガリレオの死後350年経って、時のローマ法王がこの塔の上で裁判の誤りを認め謝罪の言葉を述べたと言うが、教会・宗教の権威と科学の関わりなど、今の我々は地球が自転し太陽の周りを回っていることを意識しているが、それは当時のカトリック教会にとっては異端であった。
 科学の視点で技術力を最大限にして建築物を作っている一方、教会や宗教の権威という対極にあるものが時代を支配していた。まさにこの場の風に吹かれながら「それでも地球は動く」という科学者ガリレオに思いを馳せてみた。

ドゥオモ広場の大聖堂、斜塔(鐘楼)

4 水の都

 3日目は「水の都 ヴェネチア」へと向かう。15世紀まで地の利を活かし海運業で隆盛を誇ったという。その後は大航海時代を迎え貿易がスペインやポルトガルの影響下に移り当地の海運業は廃れていったが、一方でヴェネチアン・グラスなどの工芸品が作られるようになった。
 名前のとおりの美しい都である。かのナポレオンも賞賛したという。
 中心のサン・マルコ広場に着く。

サン・マルコ広場、サン・マルコ寺院 海水に浸かっている

 この日もご覧のとおり広場の水かさが増えている。歩けないので建物の周囲に廊下のように足場が設けられていた。地球温暖化による気象変動の影響もあり近年は水没の危機に瀕しているようだ。

運河 建物にも彫刻


運河と人が往来するための橋


ゴンドラで何かの取材撮影が行われていた 11月末で気温は低い

5 ルネサンス文化

 4日目はピサからフィレンツェへと向かう。
 街並みが映画の「ロミオとジュリエット」の世界である。高校生の頃見た中世のヨーロッパ世界の映像が蘇ってくる。主演のオリヴィア・ハッセーとレナード・ホワイティングがあまりに美しかった。ニーナ・ローターの”What is a youth?”の音楽に合わせてジュリエットがロミオを想いバルコニーで佇む姿が思い出される。「ロミオ、ロミオ・・・」。

 14世紀以降金融業を主体とするメディチ家がその財力で美しい街作りを進め、同時に学問や芸術を保護してミケランジェロなど数々の巨匠が活躍した。ルネサンス文化が開花することとなる。このように芸術に理解のある大富豪がいてこそのルネサンス文化なのだろう。


ミケランジェロ広場から見たフィレンツェの街並みとサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

 

アルノ川とヴァザーリの回廊

 当初はフィレンツェの役所であり、メディチ家の歴代が収集したという絵画や彫刻が数限りなく展示してある「ウフィッツィ美術館」を訪れた。当日は観覧者が比較的少なく入館も楽にでき、作品の前にも人が少いという幸運に恵まれた。そのため、あまたの美術品のなかでもあまりにも有名なボッティチェッリの「春」や「ヴィーナスの誕生」を前にカメラを撮るポーズができるという信じられない機会に恵まれた。作品は思った以上に大きくて古代の女神やキューピットが森の中で楽しそうにしていたり、大きなホタテ貝に乗り流されてきて今まさにマントを纏おうとする直前のヴィーナスの姿にうっとした。


「春」 花で一杯の森の中で女神やキューピットが楽しそう
「ヴィーナスの誕生」 右側の女神がマントを掛けようとしている

 建物内の回廊の両側に2㍍間隔位で並んでいるローマ時代の彫刻の多さと見上げると天井の宗教絵画に驚く。絵画には聖書だけではない神話などに基づく物語があるのだろう。聖書には原罪という考え方があるが蛇の描かれているものが結構ある。

長い回廊の天井画と両側に並んだ数多の彫刻

 美術館の次は街中でも特徴的で一際大きな建物であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に向かう。大理石と煉瓦の色彩が落ち着いた巨大なドーム建物である。建設に140年も要したというからどれだけの設計士や石工がかかわったのだろう。為政者が変わる度に何らかの変更もありえるし、長きの建設で残された建築物の偉大さを感じる。
 大聖堂に入ると正面に十字架のキリストが祭られ、天井の一番高い所に円環が見え、その周りに描かれた「最後の審判」と採光するステンドグラス、それに真っ直ぐ伸びた巨大な円柱が観る者を異世界に導くようだ。天蓋の中央は高さが100㍍以上あり、あまりに高くて見上げるとひっくり返りそうになる。空間も広く周りにも装飾品が配置されている。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の威容 大理石が美しい
   天蓋の中央部 「最後の審判」 高さ100㍍以上

6 ヴァチカン宮殿

 5日目はローマに戻り、国土面積世界最小のヴァチカン市国に入国する。かつては広大な領土を有していたが、歴史の流れの中で最小の国家となったとは言え、カトリック教会の総本山であり世界の人々に寄り添う時のローマ教皇の言葉は人々に希望を与えたり、世界を動かすほどの影響力がありその存在感は大きい。
 先ずサン・ピエトロ大聖堂の建物正面(ファザード)が目に入るが、屋上に像が配置されている。何かと思いきや聖人像13体が配置されているとのこと。十二使徒とは聞くが13人いるのか。朝日に照らされた使徒が黄金に輝いているように見え、自然と手のひらを合わせていた。キリスト者なら十字を切るのだろう。

使徒が光に輝く 敬虔な雰囲気がある


 ついに来たヴァチカン宮殿。装飾絵画で有名なシスティーナ礼拝堂ではミケランジェロが一人で5年の歳月をかけて描いたという「最後の審判」を見ることができた。こんな大きさの絵が一人の手によって描かれたのか。
 中央にキリストが配置され、左側には天国、右側には地獄が描かれているという。描かれている人物の多さと特に折り重なって地獄に落ちていく者たちの異様な容姿が気味悪さを醸し出している。
 当時の人々の生活は聖書の教義に支配されていたであろうから、自身の目で見る天国と地獄は切実に感じられたことであろう。恐らく平面的に見えるものを心の中で立体化して、自らの物語を見ていたのかもしれない。

ミケランジェロ「最後の審判」の解説版

 

7 コロッセオ(円形闘技場)


 いよいよイタリアの旅も終わりに近づく。ローマ市内でコロッセオを訪れる。途中、どれだけの時を経ているのか、車窓から見える建物の全てに歴史を感じる。青空の下、風に吹かれる石造りの建物が時の経過も重なり重々しい。
 西暦80年に出来たというコロッセオ(円形闘技場)に着く。ローマ帝国の滅亡やある時代には石材が持ち去られたり世界大戦の影響などでまさに満身創痍の感はあるがしっかりと現代の我々にその姿を伝えている。日本では弥生時代の水稲農耕が行われていた土器の時代である。吉野ヶ里遺跡(佐賀県)をイメージして比較してみる。ローマでは既にセメントの建造物ができ、その大きさも5万人の観客が収容ができたという。娯楽を求める大観衆の中、剣闘士同士の戦いや人と猛獣のまさに死闘が繰り広げられたのだろう。剣闘士や猛獣の叫びが響きわたるようだ。


コロッセオ 欠けている部分は採石の痕跡か

 次に「トレヴィの泉」に向かう。トレヴィを発音する際のイタリア人ガイドの巻き舌音がとても滑らかに耳に入ってくる。「我々日本人には巻き舌は難しいね」などと家族と話す。有数の観光地である。世界各国からの観光客が近くのお店のジェラートを食べながら写真を撮っている。泉は正面のポーリ宮殿と一体となっているがその彫刻も目を見張る。中央にポセイドンが堂々と立って、左右の女神がポセイドンを見つめているようにみえる。
 その後、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の「真実の口」に向かう。これも映画「ローマの休日」で有名になった顔型の石の彫刻である。ご愛嬌で手を入れてみる。噛まれずに良かった。

「トレヴィの泉」の横 人気のジェラート

8 帰途


ローマ市内 駐車風景 凄い縦列駐車

 トレヴィからは途中ローマ市内にある日本の百貨店などでお土産を買ってフィウミチーノ空港に向かう。もうお土産は十分という気もするが。
 空港は午後8時を過ぎているが人は多い。最後にイタリアの雰囲気をしっかり体感するため、その場の空気や言葉や目に入るものをもう一度意識して反芻する。
 そして出国の手続きを済ませ、また長い長いロシア上空を通過して帰国の途につく。

 数日間の旅ではあったが、当時のローマ教皇、メディチ家の為政者や何よりミケランジェロ、ボッティチェッリなどの数多くの芸術家の情熱も感じた。そのような人々がいて今に伝えられている物がある。一つひとつの絵画、彫刻や建物に物語が潜んでいることを知った旅であった。
 日本人には理解が難しい聖書や神話を題材とした絵画や彫刻に触れ、石の巨大な建物が長く厳しい歴史の中で残っていることに感動を覚えた。これからはそれぞれの時代背景や聖職者や為政者や作家の人となりやその時々の思惑など物語の文脈を深読みして、もっとこの時代に入り込めたら面白いと思う。
 
 比較して日本では古来より森林が多く、そこから得られる木を材料としてそれぞれの時代に生活様式や文化様式が形作られてきた。石は重く加工も大変な労力が必要だが、木は軽く形も整えやすく、なにより触れると温もりがあり削ると香りがある。「石の文化」に触れて、改めて、世界最大級の木造建築物である東大寺の大仏殿や世界最古の木造建築物である法隆寺などを始め、生活の中にある「木の文化」に目を向けられるようになった。

お疲れ様 愛犬の留守番に感謝

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