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13時間の飛行機の旅
長年の職業生活を終え引き続き非常勤嘱託としての生活に入り、時間的に余裕ができた2018年に初めてのヨーロッパ旅行を経験した。私、妻、娘との家族三人で相談して旅行先は日本人に人気のイタリアを選んだ。個人的には日本の木の建築物や仏像など「木の文化」に対し、ヨーロッパの石の建築物や彫刻など「石の文化」に触れたいという気持ちもあった。
愛犬をペットホテルに預けての旅であり、そう長く家を空けることも出来ないが思い切ってのヨーロッパ旅行である。福岡から上海経由で広い国土のロシア上空(今はロシアのウクライナ侵略で飛行できないが)を飛び長い長い13時間の飛行機の旅でローマのフィウミチーノ国際空港に到着する。村上春樹の小説「ノルウェーの森」のようにランディングした飛行機からBGMが流れることはなかった。11月末の午後6時過ぎで空港内の照明があるだけですでに周辺は夜の帳が降りるを待つだけとなっていた。空港内の建物に移動すると微かに香水の香りか。フランスが本場ではあるがイタリアも香水である。意識すると微かに香る気がするが気のせいか。
空港からはバスに乗り換えホテルへ。一泊目はこじんまりとしたホテルである。玄関ロビー口に映画「ローマの休日」を思わせるスクーターがおいてあるのはご愛嬌だ。
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2日目はいよいよ観光コース。ローマからピサへのルートとなる。距離にして約265㌖、途中の休憩はあるが所要時間4時間を超え、移動は結構な距離である。
ピサに着く。大聖堂、斜塔、洗礼堂が手入れの行き届いた芝の上に大理石の白さを際立たせながら綺麗に配置されている。近くで見るとやはり斜塔の傾きは結構大きいし高さも約56㍍あり、傾きも手伝って想像していた以上の存在感が重々しく感じられる。12世紀の建設当時から傾き、地盤の弱さで計画の半分の高さになったらしい。
かつてガリレオの異端審問について、ガリレオの死後350年経って、時のローマ法王がこの塔の上で裁判の誤りを認め謝罪の言葉を述べたと言うが、教会・宗教の権威と科学の関わりなど、今の我々は地球が自転し太陽の周りを回っていることを意識しつつ、まさにこの場の風に吹かれながら「それでも地球は動く」というガリレオに思いを馳せてみた。
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3日目は「水の都 ヴェネチア」へと向かう。15世紀まで地の利を活かし海運業で隆盛を誇ったという。その後は大航海時代を迎え貿易がスペインやポルトガルの影響下に移り当地の海運業は廃れていったが、一方でヴェネチアン・グラスなどの工芸品が作られるようになった。
名前のとおりの美しい都である。かのナポレオンも賞賛したという。
中心のサン・マルコ広場に着く。
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この日もご覧のとおり広場の水かさが増えている。歩けないので建物の周囲に廊下のように足場が設けられていた。地球温暖化による気象変動の影響もあり近年は水没の危機に瀕しているようだ。
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4日目はピサからフィレンツェへと向かう。
街並みが映画「ロミオとジュリエット」の世界である。高校生の頃見た映像が蘇ってくる。14世紀以降金融業を主体とするメディチ家がその財力で美しい街作りを進め、同時に学問や芸術を保護してミケランジェロなど数々の巨匠が活躍した。ルネサンス文化が開花することとなる。このように芸術に理解のある大富豪がいてこそのルネサンス文化なのだろう。
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当初はフィレンツェの役所であり、メディチ家の歴代が収集したという絵画や彫刻が数限りなく展示してあるウフィッツィ美術館を訪れた。当日は観覧者が比較的少なく入館も楽にでき、作品の前にも人が少いという幸運に恵まれた。そのため、あまたの美術品のなかでもあまりにも有名なボッティチェッリの「春」や「ヴィーナスの誕生」を前にカメラを前にポーズができるという信じられない機会に恵まれた。作品は思った以上に大きくて古代の神様や妖精が森の中で楽しそうにしていたり、マントを纏う前のヴィーナスの姿にうっとした。
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建物内の回廊の両側に2㍍間隔位で並んでいるローマ時代の彫刻の多さと見上げると天井の宗教絵画に驚く。絵画には聖書だけではない神話などに基づく物語があるのだろう。聖書には原罪という考え方があるが蛇の描かれているものが結構ある。
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美術館の次は街中でも特徴的で一際大きな建物であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に向かう。大理石と煉瓦の色彩が落ち着いた巨大なドーム建物である。建設に140年も要したというからどれだけの設計士や石工がかかわったのだろう。為政者が変わる度に何らかの変更もありえるし、長きの建設に残された建築物の偉大さを感じる。
大聖堂に入ると正面に十字架のキリストが祭られ、天井の一番高い所に円環が見え、その周りに描かれた「最後の審判」と採光するステンドグラス、それに真っ直ぐ伸びた巨大な円柱が観る者を異世界に導くようだ。天蓋の中央はあまりに高くて見上げるとひっくり返りそうになる。空間も広く周りにも装飾品が配置されている。
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5日目はローマに戻り、国土面積世界最小のヴァチカン市国に入国する。かつては広大な領土を有していたが、歴史の流れの中で最小の国家となったとは言え、カトリック教会の総本山であり世界の人々に寄り添う時のローマ教皇の言葉は人々に希望を与えたり、世界を動かすほどの影響力がありその存在感は大きい。
先ずサン・ピエトロ大聖堂の建物正面(ファザード)が目に入るが、屋上に像が配置されている。何かと思いきや聖人像13体が配置されているとのこと。十二使徒とは聞くが13人いるのか。朝日に照らされた使徒が黄金に輝いているように見え自然と手のひらを合わせていた。
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ついに来たヴァチカン宮殿。システィーナ礼拝堂のミケランジェロが一人で5年の歳月をかけて描いたという「最後の審判」である。中央にキリストが配置され、左側には天国、右側には地獄が描かれているという。描かれている人物の多さと特に折り重なって地獄に落ちていく者たちの異様な容姿が気味悪さを醸し出している。当時の人々の生活は聖書の教義に支配されていたであろうから自身の目で見る天国と地獄は切実に感じられたことであろう。
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いよいよイタリアの旅も終わりに近づく。ローマ市内でコロッセオを訪れる。どれだけの時を経ているのか、途中に車窓から見る建物の全てに歴史を感じる。青空の下、石造りの建物が時も重なり重々しい。
西暦80年に出来たというコロッセオ(円形闘技場)に着く。ローマ帝国の滅亡やある時代には石材が持ち去られたり世界大戦の影響などでまさに満身創痍の感はあるがしっかりと現代の我々にその姿を伝えている。日本では弥生時代の水稲農耕が行われていた土器の時代である。吉野ヶ里遺跡のイメージか。ローマでは既にセメントの建造物ができ、その大きさも5万人の観客が収容ができたという。大観衆の中、剣闘士同士の戦いや人と猛獣の死闘が繰り広げられたのだろう
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次に「トレヴィの泉」に向かう。トレヴィを発音する際のイタリア人ガイドの巻き舌音がとても滑らかに耳に入ってくる。有数の観光地である。世界各国から観光客が近くのお店のジェラートを食べながら写真を撮っている。泉は正面のポーリ宮殿と一体となっているがその彫刻も目を見張る。中央にポセイドンが堂々と立って、左右の女神がポセイドンを見つめているようにみえる。
その後、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の「真実の口」に向かう。映画「ローマの休日」で有名になった顔型の石の彫刻である。ご愛嬌で手を入れてみる。噛まれずに良かった。
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トレヴィからは途中ローマ市内の日本の百貨店などでお土産を買って空港に向かう。空港は午後8時を過ぎているが人は多い。出国の手続きを済ませまた長い長いロシア上空を通過して帰国の途につく。
日本人には理解が難しい聖書や神話を題材とした絵画や彫刻に触れ、石の巨大な建物が長い歴史の中で残っていることに感動を覚えた。また、当時のローマ教皇、メディチ家の為政者や何よりミケランジェロ、ボッティチェッリなどの数多くの芸術家の情熱も感じる。そのような人々がいて今に伝えられている物がある。一つひとつの絵画、彫刻や建物に深い物語が潜んでいることを知った旅であった。これからはそれぞれの時代背景や聖職者や為政者や作家の人となりや時々の思惑など深読みしてもっとこの時代に入り込めたら面白いと思う。
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