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映画『すばらしき世界』を見て。


ネタバレをかなり含みますのでご注意ください。今回の記事は映画を見た私の忘備録です。忘れないでいたい気持ちと思ったことをただ文章にしただけですのでとても独りよがりだと思います。



きっと人は一人で生きていくことができる
ご飯を食べて運動をして寝起きしてを繰り返せばいいのだから
そう思いながら私は、動物園の檻の中にいる姿を想像した。

それでも一人で生きていくことができないと言うのは何故だろうか…


この物語はハリネズミの話だと思った。


自分と話をしてくれる人がいる。自分がいないと少しだけで待ってくれる人がいる。そう思うことでもうどうでもいいやという自暴自棄や片付けもしない起きることもしないような自堕落な生活を送りそうになったときにそれをしない様にと選ぶことができる

自分のことを必要としてくれる人がいる。自分を大切に思ってくれる人がいると思うことでもし『死』というものが近くに来たときに『生』を選ぶことができる
『死』は一瞬のとてつもない大きさの苦しいものなら『生』は大きくはないが長く続く苦しさなのかもしれないと思っている。でもその細長い苦しみは、細長い分だけそれを超えて『喜』をくれることがある。それをくれるのはきっと自分のことを必要としてくれる人や大切に思ってくれる人なのだと思う。

自分がもし道を外してしまった時、それを間違ってないんだと信じてくれる人がいる。間違ってないと信じて自分を犠牲にしてでも間違っていてでも何か信じる為に行動をしようとしてくれる人がいる。そう思うことで長く苦しい『生』のなかで道を外しそうになった時踏みとどまるという選択ができる、

主人公は、理不尽に誰か痛めつけられたり弱いものいじめをされたりするのを見ると実際に体が悲鳴をあげる。彼のその体の悲鳴はきっと私たちに向けられたものだ。

「大切なものだけ見ないようにしないとこの世の中では、自分を守れない。」というようなセリフが印象的で心に残った。彼は、私たちの見ないふりを一心に受けて苦しんでいるのだ。

彼は、ハリネズミだ。

彼は、みんなと仲良くなりたいのに『自分が思うすばらしい世界』というハリが邪魔で抱き合うことができない。抱き合いたいのに抱き合えないジレンマ。その針が『自分が思うすばらしい世界』だと気づきながらもなかなか抜けずもがき苦しんでいる。苦しいけれど『自分が思うすばらしい世界』を捨てることがなかなかできない。※捨てられないのには別の理由もあるのだがそこはまた今度書く事にする。

そんな中彼は苦しみから逃れようと昔の仲間に会いにいく。同じハリネズミなら何も話をしなくてもこのジレンマをわかってくれる。一緒にいて無理をしなくていい。転校で新しいクラスに馴染めなくて前のクラスを思い出すように彼は前生きていた場所へ戻っていく。でもそこで言われるのだ、「娑婆は我慢の連続で面白うない。そやけど空が広いち言いますよ」と。

元の場所に戻った彼は、一度だけその針を抜いてみようと思う。自分と話をしてくれる人がいる。自分がいないと少しだけで待ってくれる人がいると気づいたのだ。

ハリを抜いてみる。いじめられている人を見て見ぬ振りしその人に対して馬鹿にする同僚に愛想笑いをした、そうやって裏切った。なのにいじめられていた彼は、いつもと変わらず話しかけてくれる。みんなが言うこの世界は、『自分が思うすばらしい世界』とは違うはずなのに何も変わらなかった。何も変わらないように見えたこの世界が彼と一緒に動き始めようとした。

でもハリを抜いたハリネズミは、生きていけない。『死』が彼を迎えに来た。

そんな彼の死をこの世界の5人が彼の死を悲しむ。そのうちの一人は、警察の部屋に入らないでという言葉を無視して彼の近くに寄ろうとする。彼には、全力で彼を信じて自分を犠牲にしてでも間違っていてでも何か信じる為に行動をしようとしてくれる人がいた。


彼は、『死』が向こうから来てしまったけれど

彼は『生』か『死』を選ぶことができたならそれが『自分が思うすばらしい世界』でなかったとしても『生』を一度は選ぶと信じたい。


そう思いながら私はこの文章を某ファーストフード店で書いている。外を見ると自転車置き場にあるたくさんの自転車が風に倒れていた。そのファーストフード店の制服を着た人が自転車に寄っていくのを見たので起こすのだろうかと思ったらその人は倒れた自転車の中から1台だけ起こしてその場をさった。

私はこの文章を書き終え店を出て自転車を全て起こすのだろうか。それとも見てみぬふりをするのだろうか……

#映画 #備忘録  

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