祖母への弔辞
祖母が亡くなった。昭和の時代私は、祖父母に育てられた。ちびまる子ちゃんやサザエさんのように祖父母が近くにいるのが当たり前な時代だったのだ。
弔辞
昨日の夜すごい雨音がした。
薄れゆく意識の中で、おばあちゃんの覚悟を感じた。
なのでこの話をする覚悟を私はした。
さて3日前の話をしよう。
最後におばあちゃんと会ったのは3日前。ばあちゃんが亡くなる1時間前。ばあちゃんの末っ子とそのお嫁さん、そして母と私。
会いに行ったばあちゃんは、苦しそうだった。
鼻から酸素を入れ、一生懸命息をして目を開けていた。
みんなが話かける。
『ばあちゃんわかる?大丈夫?』
『会いにきたよ』
『頑張ってるね。明日孫が会いに来るけんがんんばって。』
『こっちよ!わかる?』
『大丈夫やね。まだ頑張れるね。』
一緒に会いに行った親戚たちは、ばあちゃんをみながら『頑張ってね。』『もう少し頑張れるね。』そう口にしていた。
一通り親戚が話かけるのを私は、じっとみていた。
周りが気付いたのか、私に話をするよう促してくれた。
ばあちゃんと目があって、私を認識してくれたのがわかった。
『ばあちゃん、わかる?』
そう言うのが精一杯だった。私は、ばあちゃんの手を握った。握り返した手を、ばあちゃんは首元に何度も持っていく。きっと苦しいのだ。
何度も何度も、握った手を首の近くに持っていく。
その間も親戚達は、話かける。『苦しいね。でも頑張ってね』
少しすると職員の方々が突然やってきた。
『もうそろそろ出ないとね。』
誰ともなくそう言った。
私は大切な、今伝えたい一言をまだ言えてなくてその場を離れることができなかった。それをみた職員さんは、『いやまだいいですよ』そう言ってくれたけれど誰もがその場を離れようとした。
私は、ばあちゃんの耳元まで行ってこういった。
『ばあちゃん、もういいよ。』
こんなに苦しんでいるのにもうこれ以上生きなくていいよと思った。
小さい声で耳元で
『苦しいよね。もういいよ。』
そういった。近くにあったティッシュに私の香りをつけて顔の近くに2枚置いた。
『近くにいるから。一人じゃないいから。だからもういいよ。安心して」
面会が終わり、まっすぐ帰る気分にもならずなんとなく一人になりたくて親戚にスーパーへ送ってもらった。別に買うものはないけれど、誰もが気兼ねしないようにと。ちょっとスーパー内を歩いて外に出るとバケツをひっくり返したような雨だった。その時思った。あーお別れの涙雨だな。
涙雨を全身に浴びるべく外を歩いた。
初めて泣けた。寂しいわけでもなく悲しいわけでもない。さようならの涙があるのだと初めて知った。外を歩いて10分ぐらい経っただろうか。父からの電話が鳴った
『いまどこ?ばあちゃんが亡くなった』
心の中で『しってたよ。』と思った。
『ばあちゃんちゃんと知らせてくれてありがとう』
空を見上げてそういった。
そして今日がお葬儀。あれから3日が過ぎた。
昨日の夜すごい雨音がした。
薄れゆく意識の中で、おばあちゃんの覚悟を感じた。
なのでこの話をする覚悟をして今この弔辞を書いている。
もういいよ。私が言ったその言葉は、少しだけ私に突き刺さった。後悔はしていないけれど。でもその言葉の続きを祖母は、教えてくれた。
「もういいよ。もう大丈夫だよ』
ばあちゃんが心配していた一人は、夜中中走り続け自分と向き合っている。もう一人は、少しづつ親戚付き合いを始めている。もう一人は、ちゃんと人生を歩み始めている。姦しい嫁たちは仲が良くコレから助け合って生きていけるだろう。仲違いしていた兄弟も、コレを機に仲良くなったようだ。そして私は、完全なる親離れができた。
もうみんな大丈夫なのだ。祖母が心配していた全てのことが、解決に向かってもう大丈夫になったのだ。もういいよの言葉には続きがあったのだ。もういいよ!心配しなくても、もう大丈夫!雨の音を聞きながら私の『もういいよ』にばあちゃんが言葉を足した。
3日前の雨音は、さようならのお知らせ。昨日の雨音は、もう大丈夫のお知らせ。
私は、雨の日が好きなのだけれどコレからは、もっと好きになりそうだ。少しの間、お別れの涙雨を思い出して寂しい思いもしそうだけれど
雨にあたってもコレからは、必ず思うだろう
『もういいよ。もう大丈夫』
祖父母の葬儀で私は、実の父に2度喧嘩を売られたがそれはまた別の機会に書くとして……私が読むはずだった弔辞を残しておこうと思う
まぁ弔辞を読まなかった理由も別にあるのだけれどそれもまた別の話……
また別で書きたいのでここにちいさく記しておく…私が忘れないように