「社会(人の集団)」の選択
社会の構成員は一人一人の「人」である。家族、学校、会社、地域などの様々な社会の中で私たちはこれまで生活をしてきており、これからも何かしらの社会で生活していくことになる。
「社会にもまれる」「社会の荒波」「社会は厳しい」という言葉があるが、この「社会」とは何だろうと考えると、「人の集団」なのかなと思う。
言い換えると、「人の集団にもまれる」「人の集団の荒波」「人の集団は厳しい」ということになる。
人は何かしら共通点を持つことで集まるものだ。大きく分けると、以下の1と2に分けられると思う。
1,日本の小学校、中学校だと「年齢」という共通点でクラスという社会が作られる。この学校社会は、子供たちは選ぶことはできず、親や教師側が決めることになる。
2,中学卒業後に関しては、全般的なことを学び大学進学を目指す学校もあれば、専門性を高め卒業後の就職を目指す学校などもあり、その中である程度共通な興味・関心をもった人々が集まる傾向になる。これは大学や大学院、専門学校、会社でも同じだ。
1と2は「人の集団」の点では同じである。しかし、大きく違うのは、「年齢」「選択の有無」である。
1は同じ年齢の人たちの集団になるのに対して、2は様々な年代の人たちが集まる集団であるという違いがある。
また、1の集団に属している中学生までの人たちは、自分で選択することは基本的にはできず(親の家庭環境や親の価値観で子供の意思を尊重してくれる場合もある)、親がいる地域から通える学校に行くことになる。つまり選択権がない場合が多い。
一方で、2に関しては、学校に通うか就職するかどうか、またどの学校、どの会社に就職するかを選ぶ選択権がその人にある。
もちろん、一人一人の家庭環境や背負っているものは違うため、一概に言うことはできないが、中学校を卒業して以降は、自分で「社会(人の集団)」を選択することができるということだ。
仮に自分が今属している社会(人の集団)で自分に問題が発生した場合に、何とか耐えてその集団にい続けることもできるし、一方でその集団から離れて自分に合う集団を探すこともできる。後者を選んだ場合に、「これは辛いことから逃げているだけだ。逃げたら成長がない。違うところでも同じことを繰り返してしまうのではないか。」と考える人も一定数いると思う。私はどちらかというと、そのように考えるタイプだ。
しかし、中学卒業後は、人はどの社会(人の集団)にいるかを選択でき、自分で選択してそこにいるのであって、その社会にい続けることが正しいと思っているのも、自分自身の考え方であり、そこにい続けたいと自分で選択しているのである。
どの社会(人の集団)にいても自分に問題が発生する可能性はゼロにはならない。なぜなら、発生するすべての問題が、コントロールできる自分が原因であるものだけでなく、コントロールできない他者や外的なものが原因の場合があるからだ。
そこで、問題を解決するためにどんな選択をするかは人それぞれであり、他者が決め評価することではない。
自分がどんな社会(人の集団)に属したいか、それを人は選ぶことができるということを忘れてはいけないし、そしてその選択に良し悪しはなしということを頭の片隅に入れておきたいと思う。
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