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わたしの40年振返り

2025年元旦

40代に入る節目の年

40にして惑わず

なんて言葉も頭をよぎり

ついつい 自分は・・? と振り返ってみたくなる


護られて育った子ども時代

特別裕福なわけでもなく 平凡な家庭だったが
“狭いながらも楽しい我が家”

父母と3人きょうだい 
クリスマスには母の手作りのスタッフドチキンとブッシュドノエル
ひな祭りは御内裏様とお雛様を模ったちらし寿司が定番で
私の誕生日には毎年イチゴのタルトを焼いてくれた料理好きの母

自分の身は構わず稼いだお金を全額教育費に注ぎ込んで留学までさせてくれた父

私を護り愛してくれる両親という絶対的存在がいる安心感の中で生きた幸せな10年だった


10代 家庭から外の世界へ

自分の全てが無条件に受け入れられた家庭から 外の世界へ踏み出した10代

思春期には本音と建前の乖離と折り合いがつけられず学校にも親にもわかりやすく反抗した 距離を取る友人たちへの不信感に苛まれ不登校も経験した 
心を閉ざしていた私に手紙をくれた同級生
誰とも関わらない日々から勇気を振り絞って登校したわたしを当たり前のように受け入れてくれたクラスメイトたちに 次第にこころがほぐれていった

人との関わりの中で 傷つき もがき 悩みながらも 徐々に人との距離感をつかめるようになり 暗いトンネルから光を見出し抜け出した経験が 私に自信を与えてくれた

そんな自分を好きになることができた 誰に嫌われても大丈夫 私を評価するのは他の誰でもなく私自身

自分 という確固たる味方を見つけることができた10代だった


20代 仮想空間から現実へ

とにかく迷走した20代

学校という機会均等が保障された「仮想空間」から
さながらフリースタイル格闘技の「現実」という舞台に上がった

学校では与えられたカリキュラムで成績を上げればよかった
明確な目標がなかった私は 就職活動も同じような感覚でこなし 学歴や語学スキルを武器にそれなりの企業に就職した

しかし会社組織というのは男性を前提に構成されていて
女性は同じ条件で成果を上げても 超優秀な一部を除いて 育休後は裏方業務に復帰するのが現実だった
私がいた業界では 男性と同じ条件で稼働している限りにおいては 性別問わず成果は公正に評価されたが
いずれ子どもを持つことを考えると 限界は見えていた
がむしゃらに働きながら いつも頭の片隅に虚しさがちらついていた

周囲を見ると 婚活という戦場で商社勤務の若手社員と結婚し海外駐在妻の座を獲得する者もいた
どうせ会社組織での戦果は困難なら と、初めからゆるめな女性向けポジションでプライベート重視の選択をする者もいた

どれが正解だとか比較する話では無い
ただ私はここでようやく気づいたのだ

社会という現実世界は、自分でゴールを設定し、道を切り開いていく場所で

自分がどんなゴール(キャリア?家庭?プライベート?...)を望むのかををしっかりと見定め
そのための手段(資格取得、婚活、職種選択etc.)を自分で考えて選んでいくものなのだと

私は望むゴールさえわからなくなり揺れに揺れ迷走したが
ゴールがわからないならせめて、
“とにかく目の前の責務を全力でまっとうしよう“ をモットーに仕事には手を抜かず打ち込んだ
会社組織という枠組みの中で成果を出すことは howがわかりやすくて 結局一番楽だった


30代 自己完結しない世界へ

学校の勉強や会社組織での仕事は ゴールさえ決まればToDoが自ずと見え それらをクリアしていけば確実に成果を出すことができた

しかし結婚や出産と向き合った30代
計画通りにコントロールなどできない 自己完結しない壁を目の前に ただただなすすべもなく立ち尽くした


幸せだった子ども時代を振り返り 当然、同じような家庭を築くものだと 漠然と思い込んでいたが
恋人はなかなか結婚を決意せず
31で結婚したものの、EDによるセックスレスで子供は出来なかった。
現状を打開したくてもがいたものの
人の心や行動はコントロール出来ない。
自分一人の力ではどうすることもできない現実に一時は絶望した

思い描いていた未来は 自分だけの頑張りで実現できるものではなかった

自己完結しないこの世界をどう生き抜くか
希望が実現しないことに悲嘆して日々を重ねるよりは
とにかく今日を楽しく過ごすことに集中しようと決めた


“今日がとても楽しいと 明日もきっと楽しくて そんな日々が続いてく そう思って・・”  いくしかなかった 



そして40代  
ここからの10年が終わる時 この文章はどんな風に上書きされるのだろう


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