眞子さまご結婚についてすごく勝手に感じたこと
秋篠宮様の認める発言や
眞子さまの 生きるために必要な選択 発言と
眞子さまご結婚については世論と反対に(?)、前進し出したように見受けられる中
ふと思った
これまで眞子さまは、よほど小室さんに惚れ込んでいらしたんだなぁ 若い時私もそうだったし、わかるわかる
なんて、一途な恋の物語として受け止めてたけど
なんだか ふと
これは眞子さまの人間としての矜持の物語なのかも。
と思たら、全てがなんかすとんと腹落ちした
世間にこれだけ反対されて
生まれた時から皇室という人から興味関心を寄せられる立場で生きてきたとはいえ
否定的な批判をあからさまににされることはこれまでなかったであろうなかで
今回の結婚の一連の最中では、
心ない批判や、事実を捻じ曲げるような噂などに振り回されて傷付く場面も多く経験されたことは容易に推察できる
そんな世間の心ない誹謗中傷への怒りや疑問
一人の人間としての意思を、貫き通したいという想い
そういうものがあるのではないか
ただただ恋してるから結婚したいだけではなくて
これは眞子さまと世間との戦いなのではないかな
なんて思ったのだ
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そういうのって、別に眞子さまみたいに世間の目に晒されてる人だけでなく
ごく一般の我々にも当てはまることあるんじゃなかろうか
一つの行動を初志貫徹することが
別の意味合いも帯びてくること
別の戦いへの勝利を意味し出すようなこと。
例えば
この受験に合格することが
実家を出て東京に行き、親とのしがらみから抜け出すこと
だとか
イジメにあっていてすぐさまにでも学校を変えちゃえばいいのに
学校を変えることは、弱い自分と向き合うことから逃げることだ
と思ってしまったりだとか。
いずれも、結果論としては、それでいいんだと思う
あの時努力して見事合格を勝ち取ったことが、自分の親からの精神的自立につながったなぁ とかあの時学校を変えず踏ん張っていたから、イジメに打ち勝った自信を醸成できたなぁ とか
結果論としては自分で自分の行動にいくらでも意味やら意義やらを持たせていいというか、過去を振り返るというのはそういうものだ
でも生きてる今は?
みんな、自分が自分の人生の主役だから
必死に色々と考えて何かと戦って生きてる今日という日も
映画やドラマのように後ろでは印象的な効果音が流れてて
この時の決断が、彼の人生を大きく変えることとなった
なんていうナレーションまで聞こえてきて
今のこの決断の一つ一つも
自分の思いや 意思を表す重要な一手だと
外には見えない 自分の心の中の信念や哲学を表現するワンアクションだと
そんな風に感じてしまう時がある
私自身、浮気をされて離婚を考えた時
相手と結婚生活を続けたいか否かを超えて
私自身への愛することへの挑戦だと感じ始めてしまい、なかなか離婚の踏ん切りがつかなかったことがある
よくよく考えれば、
離婚をする、ということの裏にある2種類の思いは別々のことなのに
自分にとってはそのいずれもがその行動に紐付けられてしまって
それを行うこと=意思を貫くこと になっていた
幼い頃から人類皆兄弟みたいな教育を受けて
どんな裏切りにも耐えたキリストの尊さを説かれて育ったからなのか
人を愛し赦すことに対して
愚直に遂行することこそ素晴らしいと、
そういう人間でありたいと思うフシがあった
自分がキリストに挑戦することと
結婚生活に固執することとは完全一致することではないはずなのに
自分の中でそれがセットになってしまうと
離婚することは自分の矜持への敗北だ
みたいなことに思えてしまうのである
意思と行動は表裏一体だが
意思の表現の仕方の選択肢はひとつじゃない
これをしなかったらこの思いが否定されてしまうとか
これをしたからこの思いを貫けなかったことになるとか
そういうことではないんだと思うのだ
頭ではそう思っても
なかなか難しいんだけれども。
※この文章は決して眞子さま個人の意思や行動を批判する意図はありません。私個人の感想を述べたもので、眞子さまのお幸せを全然ご本人の預かり知らぬところで祈る一国民の呟きです。
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