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適度に崩すのが粋
常識を疑うとか
ゼロベース思考とか言われてずいぶん久しいけど
人々の生活に長く定着し、当然とみなされてきた常識だとか慣習、いわゆるスタンダードには、それがそうであり続けてきたそれなりの理由や合理性がある
それ以外の選択肢を選ぶ自由も許されるのであれば
スポーツや職場なんかで複数の人間が一つのゴールに向かってチームを組んで何かをする時
役割分担と連携プレーは不可欠だ
そしてその場合、チームメンバーはタイプの異なるメンツの構成にした方が、互いの強みで弱みをカバーし合えたりして、相乗効果を発揮できる
家庭にもそれは当てはまるところがある
例えば掃除や洗濯、整理整頓が得意な管理タイプの人間と
料理や日曜大工、裁縫なんかのクリエイティブ気質の人間が揃えば
互いの得意/好き/な家事が重複しないので、
互いに強みを発揮でき、
互いの不得意を補い敢えて良いチームワークを発揮できるんじゃないだろうか
家庭内の性別による役割分担の固定について、常識を疑おうという疑問符が投げかけられて久しいけど
こうして考えてみると意外に理にかなってるところもあるなと思う
どちらか一方が掃除や洗濯を担い、
どちらか一方が力仕事や資金調達をするという役割分担
分担の仕方や、
それが性別に応じて固定化されてきたこと、
そしてそれ以外の選択肢は許されないかのような固定概念があったことが問題提起のポイントであって
分担自体は改めて考えると理にかなっており合理的だよなと思う
我が家なんかは、二人とも料理も掃除もそれなりの一家言を持ってるものだから
船頭多くしてナンチャラというやつで
しばしば家事のやり方なんて素朴なテーマで真剣に衝突する
役割分担してしまえば、そこは相手の分担領域だからということで口を出さないでいられたのかもなんて
ふと思った
線引きしすぎて縦割りになりすぎるのが良くないのは当然として
要は
●相手の役割を尊重し感謝してチームプレーをすること
●分担は固定するものではなく、得意不得意や時と場合を踏まえて最適化すること
その辺りだけ押さえとけば、まぁ
先人の教え、的なものはなかなか役に立つところあるなぁなんて
モノをゼロベースで見直せてない証拠だよね。
これまでと違うことしようってしすぎて
これまでの常識の学ぶべきところまで全否定しちゃうのは
こういう青くささって意外とありがちだ。
適度に取り入れて、
適度に崩すというバランスの良さ
そういうのが 粋だなぁ