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日記:20241111「青い空にまつわるかんがえごと」

 今日はやすんだ。親戚のおじさんとおばさんにラーメンをおごってもらった。昼食はラーメンと餃子と唐揚げ。夕飯はカレーライス。お腹がぱんぱんでうごけない。押入れでよこになりふとももにゆたんぽをはさんでこれをかいている。

 ここに引越してきてからまだ3ヶ月くらいだがもうすっかり田舎の生活にはなれてしまった。ラーメン屋にむかう途中でよった林檎園で大根をまるごともらった。田舎はいろんなところで野菜や果物が手にはいる。庭で葉大根や小松菜を育てているのでこれもたべられる。

 田舎は時間も空間もゆったりしている。電車は1時間に1本しかこない。たかい建物もないので山と空ばかりがみえる。水平方向にひろがる空、視線がとおくにぬけていく感覚はとてもきもちがいい。空の、ああいう奥行きのあるすんだ青はなんなのだろう。空の写真をみても本物の空をみたときのあのきもちよさはない。絵画でも再現できそうにない。

 小学生のころ、少年野球に参加していたことがある。運動神経がわるいので野球も苦手だった。ヘルメットも野球帽もにあわなかった。そもそもそんなにたのしくもなかった。だけどときどき球が打てたときはきもちよかった。白球が空にむかいとんでいく、声援をうけながら一塁にむかいかけていく、あのときの感覚を今日、空をみていておもいだした。あのころの自分は自分がこんなふうになるなんてしらなかった。だけどこんなふうになった。

 当時の自分が現状の自分をみたら馬鹿にするとおもう。そんなものだろう。なりたい大人にはなれない。20年も30年も生きていたら、失敗したり挫折したりするものだし、そうでなくてもどこかで事故にあうなり病気になるなりする。無傷ではいられない。死んでいないだけましなほうだ。なんにもわるいことなどしていないのに大人のはじめた戦争にまきこまれて死んでしまう子供たちもいる。

 戦争の写真をみるとき、その空の青さにおどろくことがある。地上でどんな惨劇がくりひろげられていようと空はそんなことなどおかまいなしに青い。空は共感しない。ぼくたちの悲しみによりそうこともない。一緒に泣いたりしない。それは弱者のためにあるのでもなく、強者のためにあるのでもなく、ましてや善人のためでも悪人のためにでもなく、ただぼくたちのうえにある。しかしそれでいて空は、いかなる芸術よりもおおくのひとたちをすくってきたにちがいない。

 10代のころに「空があまりに美しくて自殺できなかった少女の物語」をかいたことがある。マンションの屋上まではいくが眼前にひろがる空の美しさにおののき飛びおりることができなくなる、そういうはなしだった。あくまでこれは小説のはなしだ。しかしこういう感覚自体は自分の実感としてある。

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