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日記:20241108「ゆたんぽ、地下室の孤独、幽霊屋敷」

 今日からゆたんぽを導入しはじめた。これはいい。特に布団にいれるとじんわりあたたかい。いまもお尻のうえにゆたんぽをのせている。このあたたかさは暖房のあたたかさとはちがう。暖房は肌がかさかさするしお尻にのせることはできない。

 なにごとにも種類がある。たとえば孤独。分類の仕方はさまざまだが孤独だけでも図鑑がつくれるくらいの種類がある。べたべたした孤独、ぬめぬめした孤独、ねちゃねちゃした孤独、こういう孤独は触れるものにまとわりつくので触れがたいところがある。けれどもぼくはこういう孤独がそんなにきらいではない。ねちゃねちゃした孤独をみるとなんとなくつつきたくなる。女性の孤独よりも男性の孤独のほうがねちゃねちゃしている。それはたぶん男性は孤独を隠すからだとおもう。光もあたらない地下のじめじめしたところに孤独をおしこめるからそれはねちゃねちゃしたものになってしまう。風通しのいいところに孤独をほしておくとさらっとしたあつかいやすい孤独になる。ほかにもさばさばした孤独やとげとげした孤独がある。あとはどこまでもひとりですすんでいく求道者の孤独もあれば、だれにも素顔をあかさない人気者の孤独もある。人間の内面はなかなか立体的にできているもので、入口はにこにこしており、客間はあかるく元気や陽気や才気にあふれているひとでも、地下室にはねちゃねちゃした孤独をとじこめていることがある。

 自分には物事を建物としてとらえるくせがある。ひとにたいしても「このひとが建物だとしたらどんな建物だろう」とかんがえる。どこまでも奥があるような複雑に発達した建物をみつけると好奇心をそそられる。単純明快な建物もいい。ゆったりとした余裕のあるおおきな建物もいい。自分にだけ扉をひらいてくれる建物もいい。しかしなによりもきになるのはやはり、そのひとが地下室にどんなものをかくしているのかってところだ。

 ゴシック小説のなかには建物自体が主役といえるようなものがある。具体的な作品内容はあんまりおぼえていないがそういう小説をやたらとよんでいた時期がある。要は「幽霊屋敷」みたいなかんじで、その建物をおとずれたひとたちが怪奇現象におそわれて死んだり殺されたりさんざんな目にあうっていう物語である。人間にもこうした「幽霊屋敷」みたいなひとはいるようなきがする。そういうひとの地下室にもだいたいねちゃねちゃした孤独がいる。

 ちなみにねちゃねちゃした孤独とねちゃねちゃした孤独が出会うとろくなことにならない。そこから恋愛に発展することもあるがこれもやはり、ふたりでじめじめした地下室にひきこもるようなひどい恋愛になる。ねちゃねちゃした孤独は表面に砂をかけてからまるめて天日干しするのがいちばんである。

 おもいだした。ゆたんぽのあたたかさは犬のあたたかさににてる。犬はこんなにあたたかくないが、重さのともなうあたたかさという意味でにている。

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