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人の、かくれた一面


いつもの朝の散歩で
ふと、違和感を感じました。


それは、きのうまで咲いていなかった花が
そこに咲いていたこと。

こういうことってたまにあります。
きのうまではただの緑の一部だったその木が、
思いもよらぬ可愛い花を咲かせていて‥。


なんだか急に、
女優さんにでもなってしまったみたい。


その光景をみていたら、
こんなことを思い出しました。

例えば、
怖いと思っていた上司が実は超やさし~子煩悩パパだったこと。
例えば、
お洒落でキラキラしてるようにみえた憧れの先輩が、とても真面目で勤勉な一面をもっていたこと。


見た目だけではわからない、そのひとの魅力。
一方向からでは気付けない、かくれた魅力。


そんな魅力に、気付けた喜び!

ひとの好みや性質って、本当にわからないもので。
(他人なので当たり前ですが。)
でも、わからないからこそ、
「え?あなたって、実はこうなのね!」
という発見があると、
自分だけが知っているという気持ちになってしまうからなのか、
途端に相手に親近感を感じてしまうんです。


この、親近感を感じるという部分。
わたしは自分にもあるこの性質を、
大いに利用しようと思っているんです。


「ひとを受け入れる」

相手に親近感を感じると、
少し心の距離が縮まった感じがしませんか?

「あ!同じ本、好きなんだ!」
それが分かるだけで
あまり話したコトのない人でも
なんだか勝手に自分のブロックが外れて、
話しやすくなったりするものです。

大人になると、人を受け入れることがなかなか簡単ではありません。

そりゃあ、こどもの頃と比べたら、数えきれないほどの経験を積んできているのですから。
当たり前といえば、当たり前のことかもしれませんが‥!

しかし、それって本当にあってるのかな?

「誰でも受け入れる」と同じくらい
「誰も受け入れない。」ことって、
すごく怖いコトであり、
もったいないコトなんじゃないかな?

それをずっと、自問してきました。

そして思ったんです。

誰かを受け入れるって、勇気がいること。

ひとを好きになったり、ひとを受け入れることは
自分も何かしらの変化をしなくてはいけません。
(心の面で。)
それが、辛いときもあるでしょう。
悲しいときもあるでしょう。


でも、それでも。

ひとを受け入れていくこと、
誰かを少しでも好きと感じられるコトって
きっと理屈抜きで幸せを感じられることなんだ!
と、こうも思っています。


だって、好きなひとを思うと元気がわいてくるから!
好きなひとの喜ぶ顔がみたくて!
そのためになら、わたしたちは
どんなに大変なコトだって乗り越えることができるんですから!


ひとを受け入れること、好きになることは
誰かと繋がることです。


誰かと繋がったとき。
もしかしてわたしたちは自分のかくれた一面、
新しい魅力に気付いたりするのかも
しれませんね!


そんなふうに、自分自身への発見もまた、
ひととの繋がりがあるからこそ見えてくる。
そう思えてならないのです。


最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

※パンばかりつくってますが、
パン屋さんじゃないよ~!
パスタ屋さんだよ~!(*^^*)

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