いじめ、トラウマと鬱について
(注意:この記事はあくまで自分のトラウマ克服を目的として、頭の整理も兼ねて、基本的には身内向けに書いたものです。)
大学1年生の頃から通っている心療内科で、私は「抑鬱状態」という診断を受けており、今なおカウンセリングと薬剤による治療中である。カウンセリングを進めていく中で、その原因の一つは幼少期からのトラウマの蓄積であるということが分かった。
自分と向き合う中で、そんな過去のトラウマや鬱の経験を今一度言葉にしておこうと思い、この記事を書くことにした。
幼稚園児〜小学生時代
私は物心ついた時から、あらゆる面において外れ者として生きてきた。父親がフランス人、自閉症傾向、ノンバイナリー、といった分かりやすいマイノリティの寄せ集めのような人間なのである。このような特徴は幼少期から社会的集団で生活する中で、しばしば良くも悪くも注目の的となった。
それでも幼稚園児の頃は比較的のびのびと過ごせた。理解ある先生や心優しい友人に恵まれたお陰だと思っており、彼らには心から感謝している。私にとって初めての社会的集団は、安心して過ごせる安全な場所を与えてくれるものだった。
小学校に入った途端、そう安心して過ごすことも叶わなくなった。所謂いじめを6年間に渡って受け続けたのである。主犯格のような人物はいたが、その人の指導という訳では無く、学校ぐるみで標的にされていた。無視や仲間はずれ、悪口、罵倒、持ち物に落書きといった典型的なものから、ひいては首を絞める、みぞおちを殴る、髪を引っ張るなどといった暴力もあった。なお、学校の先生がこれに対して何か手を打っていたという記憶は無い。
「クラスの皆はあなたのことが嫌いなんだよ」
「いじめられたのはあなたが悪いんです、謝りなさい」
これらはいじめについて相談した際担任の先生に言われた言葉である。
家族さえもまともに相談できる相手では無かった。母は私の話を真摯に受け止めることが少なく、私の発言に対して理不尽に怒り出すこともよくあった。一方、父は良い相談相手だが日本語が話せないため、相談を受けてもそれに対応して学校に連絡することができなかった。私にとってもはや安全な場所など存在しなかった。
それでも私は勉強は好きだったので学校に通い続けた。大好きな理科の勉強や、趣味のお絵描きやゲームに没頭している時間が、苦しみからのせめてもの逃避になっていた。
大多数の人間は小学生の頃を思い出すと「あの頃に戻りたい」と感じる、ということを聞いたときは衝撃を受けた。そんなこと私には一切考えられない。あの頃に戻るくらいなら死んだ方がマシだ。
中学生〜高校生時代
中学校には、小学生時代にできた友人だけでなく、他の小学校から来た人達もいた。私は心機一転、新たな友人関係を作ろうと励んだ。しかしそれもまた、悪い結果に終わってしまうことになる。
少し話は飛ぶが、私には小学校高学年から仲の良かった友人(Aさんとする)がいた。Aさんも私と同様に学校でいじめられていたこともあり、お互いに良き理解者だった。中学校では同じ部活に入り、1年生、2年生と同じクラスになれたことを2人で喜んだ。
そんな中学2年生の部活での出来事である。11月中旬、2年生の部員の中から次の部長と副部長を決めることになっていた。ほぼ消去法のような形で私が部長となり、続いて3人の立候補者の中から副部長を決めた。そこにはAさんも立候補していた。部員全員で多数決をし、私が集計して結果を発表した。副部長になったのはAさんでは無かった。すると突然、Aさんが大声で泣き出した。副部長になれなかったのが悔しかったのかと思い慰めの言葉をかけるも無駄で、その日はそれ以降全く口をきいてくれなくなった。
その後、Aさんは私のことを執拗に避けるようになる。これは流石におかしいと思い担任の先生に相談したところ、Aさん、先生、そして私の3人で面談することになった。そこでAさんが口にしたのは、「でもあんた、私の他にも友達いるんでしょ」という一言だった。それを聞いた当時の私は、中学校に入って以来新しい友人を作るのに必死であまり話してあげられなかった私の落ち度だ、これからはもっとちゃんと接してあげよう、と思っていた。
けれども、そうもいかなくなった。Aさんのその後の行動はどんどんエスカレートし、歯止めが効かなくなった。私を避けるにととまらず、部活動中に怒鳴りつける、私の持ち物を床に放るなどのあからさまな嫌がらせが増えていった。また、美術部の同級生に私の悪口を言うようになり、そこから次第に悪口の波紋が広がり、中学3年生の後半になる頃には私は同学年の多くの生徒から無視や悪口、暴言といったいじめを受けるようになっていた。
この頃からか、私は小学生時代のいじめも、今の状況も、全て悪いのは自分で、自分はそんな仕打ちを受けて当然の人間だと思い込むようになっていた。そのため、人に助けを求めることも少なくなっていった。
高校に上がり、今度は知っている人のいない全く新しい環境での生活が始まった。そんな中、それまでの経験から、私は人と関わるのが極端に怖くなっていた。
「私のせいでまた人を傷つけたらどうしよう」
「私なんて好かれるはずが無い」
「私は自分勝手な人間だ」
といった思いが災いを招いたのか、いずれにせよ結果は同じだったかは定かでは無いが、高校の3年間を通して私は再びいじめを受けることになった。やはり無視や仲間はずれが多かった。記憶に新しいのは3年生の文化祭の準備中、私と同じ班のメンバーのほとんどから仲間はずれにされたことである。また、過激なセクハラや、恥をかかせるような嫌がらせ、終いにはやっとのことでできた友人を私から引き離そうとするという嫌がらせをする人も現れた。
だが、誰にもそのことを相談できなかった。「自分が悪い」としか考えていなかったからである。高校1年生のある時、心療内科に相談しに行ったことがあった。けれども当時の私は、自分を責め続けるあまり、完全に心が壊れており、もはや自分でも何が辛いのか分からなくなっていた。結局のところ、「クラスの人と仲良くできない」とだけ相談し、明らかに真面目に話を聞く気の無い精神科医から睡眠導入剤を処方されて終わった。追い討ちをかけるかのごとく、この出来事がきっかけで母は私のことを「自分が心の病気だと勘違いしている」と認識するようになり、より一層私の悩みに耳を傾けなくなった。高校2年生に上がった頃母が担任の先生に「うちの子は自分が心の病気だと勘違いしてるんです」と伝えていた時、心の底から絶望したのを、今でもありありと思い出せる。自分のこれまでの人生を全て否定されたという気持ちになった。
思えば、この頃から抑鬱状態だったのだと思う。高校に入ったあたりで、それまで持っていた勉強に対する喜びややる気が、電池が切れたかのように、完全に無くなってしまったのである。当然、学業の成績はみるみる落ちた。授業には全く集中できず、テストは赤点連発、課題も期限通りに提出できる方が珍しかった。私の抱える悩みの重さなど知る由も無い母は、そんな私を叱り、勉強ができないことを責めた。だが母に言われるまでも無く、私は既に勉強のできない自分をこれでもかと責めていた。勉強だけが取り柄だった私から勉強が無くなったら何も残らない、そんな自分に生きる価値は無いと本気で考えていた。高校3年間のうち自殺について考えない日の方が少なかった。
驚くべきことに、私はそれでも学校に通い続けていた。それは僅かな友人に会うためだった。自分を受け入れてくれるであろう人達に縋って生きていくしか無かった。冗談抜きで彼らがいなかったら私は今生きていない。心から感謝している。
大学生
私は一浪の末、小さい頃からずっと学びたかった分野を学べる学部に入学した。幸運にも1年間家族以外の社会的集団から隔絶された環境にいたことが、勉強の喜びややる気を取り戻す格好の機会となった。周りに人がいない状態で勉強するのは楽しかった。
大学は、これまで自分が属してきたどんな社会的集団とも全く異なる環境だった。義務教育のような集団でいることへのこだわりも無ければ、高校のような競走社会も無い。興味のあることを勉強しに来ている人、就職を第一に考えている人、自分が何がしたいのかよく分かっていない人、そんなありとあらゆる背景を持った人達が同じ場所に集まり、そして、互いに尊重し合っている。高校の頃の自分には想像もつかなかった光景だ。大学に入ってからはいじめられることも一切無くなった。初めのうちこそやはり対人関係に不安があり、あまり上手く話せなかったものの、1年もすると授業や部活などを通して多くの友人ができた。今までこんなにも自分のことを尊重してくれる人に囲まれたことは無かった。きっとそれが人として当たり前のことなのかもしれないが、私にとってはこんな環境に自分がいられるということがにわかには信じ難かった。そして、次第にそんな人達のことを心から信頼できるようになっていった。いつしか、「自分には生きる価値は無い」と自分を責めることもほとんど無くなった。
トラウマと向き合う中で
自分にとって最良と言ってもいい環境に恵まれた今でも、依然として抑鬱状態は治っていない。最近はめっきり減ったが、時折強い不安に襲われ涙が止まらなくなったり過呼吸になることや、全身の力が抜けて体が動かなくなることもある。自殺を考えることも少なくはなったが完全に無くなった訳では無い。周りの人達や好きなもののお陰でなんとか生き延びているというのが今の状態だ。
また、トラウマによる二次的な症状がいくつか残っており、それらにも未だに悩まされ続けている。カウンセラーの方に聞いたところによると、発達トラウマ障害というものらしい。例えば、代表的な症状にフラッシュバックがある。これはトラウマになった出来事を突然はっきりと思い出し、当時のそのままの感覚を追体験するというもので、その引き金になる音やものがあることも多い。私の場合は大きな音、他人の咳払いの音といった音や、更には本を読んでいる時に目に入ってきた単語や言い回しがフラッシュバックの引き金になることもある。いずれにせよ一度フラッシュバックが起こると再び落ち着きを取り戻すのにかなり時間がかかって大変困るので、できるだけ早急に治したいものだ。
今思えば、「自分はいじめられて当然だ」「自分には生きる価値が無い」などの考えはあまりにも馬鹿だった。実際のところ、いじめを受けるべき人間などこの世に存在しない。仮に本当に悪いことをした人がいたとしてもそれを裁けるのは法律だけであり、決していじめられるべきでは無い。生きる価値の無い人間もこの世に存在する訳が無い。能力や外見などで人の生きる価値を判断するのは優生思想に他ならない。こうも冷静な判断ができなかったのは、長い間繰り返しいじめを受け続けて精神が摩耗しきった結果なのだろう。いじめは人の認知を歪め、果てには人生を壊す恐ろしい行為なのだ。私と同じような目に遭う人が少しでもいなくなるように強く願っている。
ところで、「いじめられる方にも原因がある」という文言を目にすることがある。これは「いじめられた方が悪い」という意味ではなく、「いじめられやすい人はいじめの標的になりやすい条件に当てはまっている」という意味だと個人的には捉えている。実際私は先述の特性がある他にも、単純に変わり者だった。いじめを許す許さないはともかく、集団に適合しない異端者は多かれ少なかれいじめられる運命なのだろうと私は考えている。また、過去にいじめられたことのある人が再びいじめに遭うことが多いのは、鬱やトラウマなどのいじめ後遺症を患うこと自体が周りからすると珍しいことであり異端であるため、それもまたいじめの標的になる要因となってしまうからだろう。こうしたいじめの悪循環に私は巻き込まれていた。
そこから抜け出し、今のような状態にまで回復するのは間違いなく自分一人では無理だった。トラウマを抱える中で、これからも沢山周りの人達に頼ることがあるだろう。かつての私なら人に頼ることに対してどうしようもない罪悪感を抱いていただろう。今でも罪悪感は拭えないが、少しでも良くなるために、できる限り周りの人達に頼っていきたいと思う。
ここまで読んでくださりありがとうございました。どうかお元気で。