元・声優志望
高卒で某特急社内ウエイトレス業に就いて約一年後、あまり変わり映えのしないこの職がつまらなく感じ、興味あった声優を目指してみようと思いました。
時はバブル崩壊前の超好景気。フリーターという働き方が認知されはじめていて、「職業選択の自由あははん♫」という某バイト情報誌がテレビCMをにぎわしていた時代。
体験入学をした人達に入学試験免除という通知がきて、一年で貯めた貯金で某声優学院の入学金を払い、自分の今の状況で通学可能な某学院に通い始めました。
・・・・時は流れ、某学院からゼミ生徒、有志によるワークショップ結成、現役講師を招き入れての勉強会、声楽、ダンス、日舞、試演などできる範囲でおおよそ必要と思われるモノコトをできる限りこなしていましたが、気づけば三十代に突入していました(想定内)。
まだまだしないといけないことはたくさんあったけれど、そろそろ受ける側から提供する側にまわりたいと地方の小学校巡回を活動のメインにしている、とある某劇団の入団試験を受け、見事合格しました。
来春正式入団、というとき、話を通してあったはずの当時のバイト先から待ったがかかりました。
学校巡業なんでしょ?夏からにしてくれない?
蓄えが貧しかったこともあって劇団側に相談、了承を得て「夏前に電話する」と話がまとまりました。
・・・が、待てど暮らせど劇団側から連絡が来ない。八月も終わりに近づいたある日、思い切ってこちら側から電話をいれてみたら、その時に話をまとめていただいた人、人事にあたる人が退団していて、上まで話が届いていなかったのです。
急遽個人的に座長が見てくれる、というので、御前で簡単な演技テスト。
「もう二学期の巡業スケジュールと編成が決まっているけれどどこかに組み込んであげる、少し待っててくれ」いわれました。
・・・が数日後「やはり無理だった来年おいで」言われました。
・・・あけて翌春。今回は蓄えもばっちりで、バイト先もきっちり辞められて、
劇団座長「来たね」
私「はい、来ました」
入団試験はあったけれど、私は形ばかりというのが手に取るようにわかりました。
入団確定、どうやら
組み込むグループも既に決まっていたようでした。
ちょっとした役の掛け持ちと、出番がない時の裏方でしなければいけないこと等の段取りと稽古。三十代とはいえ劇団内では新人のペーペー。雑用もこなさないといけないだろうがもちろん想定内。
・・・覚えています。初めの巡業先は熱海でした。スケジュールが配られ、いよいよゴールデンウイーク明けには出発、となったある日。
今日も稽古を終え、靴を履き替えようとした瞬間
ズキッ
腰に激しい痛みが走りました。歩くのもやっと。
属にいう
魔女の一撃
腰に爆弾抱えていたのは知っていました。でも本を買って、対処療法しかないと知って、腰回りの筋肉強化して、ここ何年も痛みがぶり返したことはなかったのです。
それが今このタイミングできますか?!
その日はなんとか帰宅し、翌日には痛みがひいていることを願いつつ就寝したのですが・・・
駄目でした。歩くのがやっとの状態に劇団側に電話して今日は稽古を休ませてもらい、整形外科へ。
もちろん対処療法しかない。今の痛みは一週間くらいでとりあえず引くだろうけれど安静に。
縁がないんだ
そう思いました。
もう諦めろ
何かがそう諭しているようにも思えました。
学校巡業はマイクロバスでの移動です。大道具の搬入、搬出作業もあるでしょう。ペーペーの私が一番動かなければいけないでしょう。
今痛みが治まっても又いつ食らうか分からない。
・・・退団を決意いたしました。
座長は「治ったら又おいで」とお言葉をいただきましたが、三度目の入団叶わずに私は縁がないんだと思わずにはいられませんでした。
こうして私の声優への夢は挫折するにいたったのです。