『幸せ』って『なる』ものでなく、『感じる』ものらしい


前回の記事で書きましたが、ツヤ子は癌とわかってから、ひとりになるとシクシク泣くという抑鬱状態が続きました。そんな時、支えとなった本があります。

『ライフ・レッスン』 エリザベス・キューブラ・ロス  デーヴィッド・ケスラー著 上野圭一訳 2001 .11 株式会社KADOKAWA

です。

キューブラ・ロスの『死の受容』についての本を調べているときに出会いました。

前回の記事で紹介したキューブラ・ロスの著書
『死ぬ瞬間』が【死とその過程】について記されているとしたら、
『ライフ・レッスン』は【生とその過程】つまり人生と生き方についての本です。

沢山の『死』と向き合ってきたらから見えた『生』

この本はキューブラ・ロスがインタビューしてきた末期患者さんとのエピソードを交え、人生には15のレッスンがあると記しています。

第一章 「ほんものの自己」のレッスン
第ニ章 愛のレッスン
第三章 人間関係のレッスン
第四章 喪失のレッスン
第五章 力のレッスン
第六章 罪悪感のレッスン
第七章 時間のレッスン
第八章 恐れのレッスン
第九章 怒りのレッスン
第十章 遊びのレッスン
第十一章 忍耐のレッスン
第十二章 明渡しのレッスン
第十三章 許しのレッスン
第十四章 幸福のレッスン
最終レッスン

この本を読んだ後、今までの自分が持っていた『人生の幸せの固定概念』って違ったのね、と思いました。

大人達からの幸せ刷り込み教育

アラフィフのツヤ子。

昭和の教育は『いい学校行って、大企業に就職して、高給取りになって、結婚して、マイホーム持って、車買って、子どもができたら子どもも高い教育を受けさせて…』というのが『幸せ』で、そのために努力をしなさい!と、いうものでした。

そして、厄介だったのは家庭内でも教育現場でも『躾』と称した『体罰』が日常的に蔓延っていたことでした。

子どもだったツヤ子はとにかくそれが恐ろしくて…。

自分も体罰を受けたくなかったし、体罰を受けている他の子をみるのも心が痛んだものです。

大人の言うことを聞いていればいい

子どものツヤ子は体罰を受けたくないので、自分の希望なんて押し殺します。

親や先生の言うことを聞いて、ご機嫌を損ねなければいい…。そんなことを無意識にしていたものです。

そんな感じで時は過ぎ、癌になり、シクシク疲れ果て泣くおばさんになっていた…。

『ほんものの自己』

本著、第一章の『ほんものの自己のレッスン』を読んだ時、ツヤ子は自分の人生なのに、自分の心の声を全く聴いてこなかったんだなぁと思いました。

だから何だかいつも苦しくて、『自分はまだまだ』と思ってたのだなぁと気づきました。

じゃあツヤ子に何を望んでる?ときいてみた。

心穏やかに暮らしたい


答えは大きな家が欲しいとか、海外旅行行きたいとかそんなことでなく、のんびり、心穏やか暮らしたいと思いました。

『幸福のレッスン』

そんなツヤ子の心の声に答えを教えてくれたのは、第十四章の幸福のレッスンでした。

『幸福とは心の状態のこと』と記されています。

大抵の人は何かを得たとき、何かをなしえた時に幸福になり、なにか大変なことになった時に不幸になると思っている。けれど、その幸福は一時的な高揚感でしかない。自分を幸福にするために必要なものはすべて与えられている。わたしたちはただ、与えられているものの使い方を知らないだけなのだ。(一部要約)

キューブラ・ロスは『幸福』って『私って幸せ〜』と感じる心の状態だといっているのだと思いました。

『幸福』に高学歴も高収入も必要なく、『幸せ〜!』と感じる心があれば『幸福』ということなのではないかな?と思いました。

『今日、息子達とファミレス行って楽しかった!美味しかった!幸せ〜!』と感じたので、ツヤ子は今日も幸福なんだ、と思いました。

この先の人生は自分の心の声をよく聴いて、心穏やか暮らしたいものです。

お守りのような本

本著はツヤ子にとってお守りのような存在になっています。

初めは普通に最初から最後まで順番に読みました。けれど、最近は気分が落ち込んだり、イライラした時にパラパラめくって目に入った文章を読むようにしています。読んだことがある文章にもかかわらず、不思議なもので初めて読んだような気分でツヤ子にアドバイスをくれます。

困った時は『ライフ・レッスン』。
抑鬱状態のツヤ子の支えとなってくれる本と出会えました。





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