「ところについて」の〈余白〉に

Webマガジン「詩客」に「「ところについて」の〈余白〉に」と題し、からつき七緒さんの『わたしが選ばなくていい言葉』から一篇の詩を引用し、評を書いています。
〈余白〉を含む紙面を読むこと、あるいは引用という行為について。

一篇のテクストを読むとは、どういうことだろう。
テクストの〈余白〉はどのような機能を担っているのだろう。
〈余白〉は、テクストという単位が決定されたときに生まれる。
その単位、フレームは、あるテクストにタイトルを付す(命名行為)などの概念的なレベルで設定されることもあれば、本、紙片、壁などに印刷もしくは手書きされ、それらの媒体の限界によって設定される場合もある。
また、任意のメモ書きのなかに読者が語や文を見出すことで、フレームを設定する場合もある。
たとえ概念的なレベルや媒体によってフレーミングが為されていたとしても、読者が任意の対象のテクストを概念的なレベルで認識しなければ、テクストは現れない。
[…]私たちはフレームを概念的に設定/認識しなければ、云い換えれば〈余白〉をとらえることなしにはテクストへと接近することはできないし、〈余白〉は私たちの読む行為に食い込んでいる。(本文より抜粋)

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https://blog.goo.ne.jp/sikyakukonngetunosi/e/8da99f8ea1473f5c9a84bf50abccb01e

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