『悲しみの秘義』若松英輔(10)【師について】
とても良い章です。なんども、なんども読み返したい。
若松英輔さんが亡くなられた井上洋治神父との思い出を淡々と綴っておられるのだが、師である井上神父が若かりし頃の若松さんにかけられた言葉は、50歳を過ぎた僕にも優しく響く。とても普遍的な言葉です。素敵だな、と思う。
そして、若松さんは次のように語る。
「世にいう師とは、どう生きるかを教えてくれる存在であるかもしれないが、私の師は違った。彼が教えてくれたのは、生きるとは何かということだった。人生の道をどう歩くのかではなく、歩くとはどういう営みであるかを教えてくれた。」
生き急がないでいい、立ち止ってもいい、というメッセージが感じられる。悩んで神経症になった若松さんは「どう歩くか」を欲したのかもしれないが、井上神父は「歩くとはどういう営みであるか」を教えてくれたのである。心がほんのりと温かくなる。
僕も今日は少し立ち止まり、「どう歩くか」ではなく「歩くとは」について考えてみようと思う。秋の夜は、考え事をするにはちょうどいい。