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石崎光瑤展(京都文化博物館)

 京都文化博物館「石崎光瑤展~生誕140年記念~」へ。

 若冲を超えろ! 絢爛の花鳥図

 かなり強気なキャッチコピーだよなぁ。
 京都文化博物館の自信なのか、一か八かの博打なのか、石崎光瑤を知らない僕には分からず、そこまで言うのなら実物を観てやろうじゃないの、とまんまと主催者の思惑に乗っかったのである。

 もちろん、伊藤若冲は知っている。作品も観ている。
 凄いんだけど、凄すぎて疲れる、というのが僕の印象。細かすぎる、こだわりすぎる、やりすぎる、でもオンリーワンなので素晴らしい。若冲は好きというよりも尊敬している。

 さて、光瑤である。
 どれどれ、お手並み拝見。どんな筆遣いなのかなぁ、とビズリーチのCMみたいな気分で鑑賞を始める。
 まず、14歳で描いたとされる「富山湾真景図」を観て、「若冲を超えろ!」が過剰キャッチコピーでないことを直ぐに理解した。一発でKOされてしまった。タダモノではない。それまでの疑心が一気に晴れて、とんでもない出合いになるかもしれないと期待が高まる。
 
 文展出品の「筧」「森の藤」は巧くてきれいだが、個性はあまり感じない。
 もしかして早熟タイプなのか? と新たな疑念が湧く。

 光瑤の経歴で興味深いのは、父親の死後、霊峰の立山を皮切りに登山にのめり込み、明治42年には劔岳に民間人として初めて登頂し、大正5年から翌年にかけて9か月インドを旅し、標高3966メートルのマハデュム峰(ヒマラヤ)に挑み、日本人初の登頂に成功していることである。

 インド旅で描いた絵画や当時の資料を観終えると、会場は急に広がりを見せ、帰国して描かれた「熱国姸春」「燦雨」を目にした瞬間のインパクトは強烈である。インド旅が画家に与えた影響が良く分かる。この見事な展開力には、学芸員の技量の高さを感じる。グッドジョブ。いい仕事しています。
 
 ここからが光瑤の本領発揮なのだ。
 色使いが変わり、構図の大胆さと筆遣いの繊細さが独自性を生み出す。僕は「熱国姸春」「燦雨」で完全に心酔してしまった。「若冲を超えろ!」というキャッチコピーの真偽は各自が判断すれは良いと思うが、僕は間違いなく若冲よりも光瑤が好きだ。

 二人を比べることに意味はないが、若冲ほどの緻密さはないけれど、構図の面白さ、色使いはよりドラマチックであり、何よりも躍動感に溢れている。観ていて「凄い」「きれい」ではなく「活き活きしている」というワクワク感が堪らない。

 「雪」「白孔雀」更には高野山金剛峰寺の襖絵、「隆冬」「聚芳」など、光瑤ワールドはどんどん広がっていく。僕が最も好きな作品は「霜月」である。大きくないし、地味なのだけれど、深紅の菊が心の奥深くに染みわたるのだ。「きれい」ではなく「生命力」を感じる作品である。

 観れば観るほど、石崎光瑤が好きになっていく、本当に素晴らしい展覧会である。この興奮を上手く伝えられない、語彙力のなさが実に残念だが、「石崎光瑤には伊藤若冲にはない魅力が溢れている」ことだけは間違いないと断言できる。

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