一條次郎『レプリカたちの夜』の話
果たして、この作品をミステリーとしていいのか分からない。第二回新潮ミステリー大賞受賞作であるが、送る賞を間違えてしまったのではないかと思う。
しかし、本書の帯に書かれた伊坂幸太郎の意見と私の意見は合致してしまった。
「ミステリーかどうか、そんなことはどうでもいい。」
「とにかくこの小説を世に出すべきだと思いました。」
というわけで、noteを書いていきます。
Amazonをご覧いただいたとおり、本書のカバーは非常に可愛らしい。つぶらな瞳のシロクマが工場を抱えている。驚いたのは、このカバーがそっくりそのまま、本の内容だということだ。つまり、シロクマが工場を掌握している。こんな奇天烈な世界があっていいのか分からないが、主人公 往本とともに本書に飛び込むのをおすすめする。
往本は動物レプリカ工場の品質管理部で働いている。この世界では動物はほとんど絶滅してしまっているらしい。そんな中、往本は工場内で二足歩行のシロクマ目撃する。工場長に命じられ、往本と同僚の粒山・うみみずはシロクマを調査するが、あの日以来シロクマは見つからず…。
と、ここでおかしなことが立て続けに起こる。
用水路で釣れるピラニア、知らない美人、記憶にない交通事故、自分のドッペルゲンガー…。
ぷりんぷりん音頭を踊ったり、同僚の妻と言い張る女に根性焼きを入れられたり(意味不明だが付いてきてほしい)する日々を過ごす往本。
「アール!」
そんな往本は謎の鳴き声?をあげるシロクマに殴られ、同僚は物理的にグチャグチャになり、それを何度も繰り返す混沌の中に迷い込んでしまう。
ここまでで、だいぶカオスで深刻な事態になっているが、大丈夫だろうか?往本も、読者の私たちも。
シロクマの正体、往本が見たドッペルゲンガーなどは終盤明らかになる。
その謎が明かされたとき、私たちの「自我」は危険にさらされる。題名をもう一度読んでほしいのだが、これは『レプリカたちの夜』なのだ。
私は2022年の今を生きてこのnoteを綴っているが、私を証明するものは何なのだろうか。私の目の前に私が現れ「私が本物だ」と言われたとき、私は私をどう証明すればよいのだろうか。
一條次郎は往本とシロクマを対峙させ、私たちに問いかける。この摩訶不思議物語の行末は、覚悟を持って読んでほしい。
この作品がミステリーなのかどうかは分からない。ただ、「私とは一体何をもって私であるのか」。そんな強烈なミステリーを突きつけてくる作品だ。