高野山 町石道参詣登山【和歌山】
5月27日、紀州かつらぎ熱中小学校(大人のための社会塾)のイベント、「高野山 町石道参詣登山」に参加しました。
町石道とはお大師様(弘法大師空海)が、高野山のふもとに住む母に会うために歩いたと伝えられている、約22㎞に及ぶ山道です。当時、高野山は女人禁制となっており、お大師様は月に九度も母を訪ねたことから、ふもとの町には「九度山町」という名が付いたとも言われています。
この日はやわらかな日差しのトレッキング日和。集合場所となっていた「道の駅 柿の郷くどやま」から、まずは慈尊院へと歩いてゆきます。
慈尊院にはお大師様の母・玉依御前がお祀りされており、女性にご加護をくださる寺院として有名です。
慈尊院の境内の石段を上り、丹生省官符神社へ。ここには高野山の守護神である丹生都比売大神と、息子である高野御子大神がお祀りされています。
その昔、高野御子大神は白と黒の犬を連れた猟師の姿で現れ、お大師様を高野山へと導いたのだそうです。
丹生省官符神社で道中の無事を祈願し、境内の坂道を下り町石道へ。
五輪塔を模した「町石」には数字が刻まれており、先ほどの「慈尊院」にはスタートを表す「一八〇町石」が。そこから1町(約108m)ごとにカウントダウンが始まり、高野山内にある「根本大塔」の「一町石」がゴールとなります。
町石は主に鎌倉時代に建てられたものが多いとのこと。古い時代からずっと、長い山道を歩く参詣者の心の拠り所となっています。
整備されているとはいえ、高野山は約800mの山。町石道は決して楽な山道ではなく、急な上り坂や歩幅の合わない階段、ぬかるみや石がごろごろ転がっているところもあり、集中力が必要です。
自分の足で一歩一歩、小さな歩幅分しか前に進めず、足の速い人と遅い人、スピードの差が目に見えてはっきりと分かれてしまいます。
私はゆっくりタイプなので、前を歩く人の背中は少しずつ遠くなり、途中からはすっかり引き離されて見えなくなってしまいました。
でも、長く続く山道では、無理をせず自分のペースを守って無事にゴールまでたどり着くのが一番大切なこと。「置いて行かれる」「急がなくては」とつい焦りがちになってしまいますが、それは他人と自分を比べて落ち込んだり喜んだりしてしまう、日常生活への戒めのような気がしました。
野鳥のさえずりや山肌を流れる水音、木々の間から差す光。日常から離れた山の中の空間は癒しに満ちていました。
最後の急坂を登り切ったなら、高野山の大門が真正面に。
ここからは町中を歩いてゴールの根本大塔を目指します。土の道を歩き慣れた靴底に、アスファルトはなんとも硬い感じがして、少々歩きづらい気がしました。
午前7時に慈尊院をスタートして、午後4時30分、無事に高野山根本大塔に到着しました。
所要時間は9時間30分。途中、お昼ごはんや休憩を挟んではいますが、これほど長時間こつこつと歩き続けたのは初めてです。「巡礼」という言葉の意味がほんの少しだけ、体感としてわかった気がします。
今回、参加者は10人。すでに幾度となく町石道を歩いては写経を納めている北岡さんを隊長として、全員、完歩できました。
ゴールの根本大塔で記念の写真を撮りながら、誰もが口にしたのが、
「みんなと一緒だったから、最後まで歩けたんよ」
という言葉。
実のところ私自身、約22㎞を歩き通せるとは思っていなかったので……。
「みんなと一緒」には大きな底力が秘められているようです。
5月の町石道は卯の花が満開、新緑が輝いていました。夏へと向かう山はやわらかなエネルギーに満ちていて、「四十七町」を過ぎたあたりからは、
「ああ、高野山だ」
と、仏様の山特有の落ち着いた気に包まれているような感じもありました。
次は秋の紅葉の時期にも「参詣登山」がおこなわれる予定です。それまでにメンテナンスをしっかりして、自分の体への信頼感を高めたいと考えています。
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2023年6月2日、近畿地方を襲った「線状降水帯」による豪雨。かつらぎ町、海南市を始め、紀北は多大な被害を受けました。高野山町石道も大きく山が崩れ、この時歩いた豊かな風景が一変しているところもあるようです。(今は全行程立ち入り禁止となっています)
被害を受けた地域、そして町石道が、一日も早く元の状態を取り戻せますよう、お祈りさせていただきます。